要約
全ての存在を疑うこと、とくに、
- 自分の肉体
- 自分の存在する場所としての世界
が実は存在しないのではないかと疑うことは可能である。
しかし、考えている自分が存在している以上、その存在を疑うことは出来ない。疑っている事実自体から、自分の存在が明証的に直感されるからである。
では逆に、自分が考えることをやめてしまったらどうなるだろうか。私はその場合に自分が存在すると信じるどんな根拠も無いことを発見した。
つまり、私という存在は、考えるという事実に支えられており、考えることだけが存在の本質であると考えた。
考える=存在するためには冒頭に挙げた肉体にも世界にもどんな物質的な物にも依存しない。
この考える実態こそが霊魂であると私は考えた。肉体は感覚を通して認識される以上、霊魂は肉体より認識しやすいものである。
だから、肉体が存在しなくても、考える霊魂は存在し続けるはずである。
解説
明らかに、肉体が死を迎えた後の霊魂の不滅性は、この論理では証明されてはいない。現代においても、霊魂の不滅性は証明することも反証することも出来ないが、1934年になって、科学哲学者のカール・ポパーが「反証不可能性」を提唱し、反証不可能なものは科学で無いという基準を示したぶん、確実に進歩していると言える。
デカルトにとって霊魂の不滅性は明証的であり、ゆえに真実であった。つまり、次章もまた誤謬である。