§1-2 精神的な享楽

人間は3種類の享楽を生み出した。

  1. 再生力の享楽。飲食、消化、休息、睡眠など
  2. 刺激感性の享楽。遊歴、跳躍、格闘、舞踊、撃剣、乗馬、運動、狩猟、闘争、戦争など
  3. 精神的感受性の享楽。考察、思惟、鑑賞、詩作、絵画彫刻、音楽、学習、読書、瞑想、発明、哲学的思索など

しかしこの中で、

  • 最も高尚で
  • 最も変化に富み
  • 最も持続的

な享楽は3番目の精神的な享楽である。

頭脳次第で、豊かでおもしろく味わい深いものにもなれば、世界は貧弱で味気なくつまらぬものにもなる。聡明な頭脳にはかくも痛快に映ずる出来事が、愚鈍平凡の頭脳から見ると、日常茶飯の世の中のおもしろおかしくもない一場面に変わってしまう。
ゲーテとバイロンの詩を読んでも、愚かな読者は、詩人の経験した惚れぼれするような出来事を羨みこそすれ、ごく平凡な出来事をかくもすばらしく造りあげた想像力を羨ましく思うことはない。位階や富の差に比例して幸福や愉楽の内面的な差異ができているわけではなく、どんな栄耀栄華も、愚者の鈍い意識に映じたものであれば、セルヴァンテスが居心地よからぬ牢獄でドンキホーテを書いたときの意識には比すべくもなくみすぼらしい。

人間に与えられる幸福の限度は、個性によって、あらかじめ決まっている。それは、精神的能力の限界によって精神的な享楽の能力が決まっているからである。精神的な享楽の能力が低い人間は、感能的享楽、家庭生活の団欒、低級な社交、卑俗な遊楽などに頼る生活を抜けきれない。

人々は大抵われわれの運命すなわち有するもの(2)あるいは印象の与え方(3)ばかりを計算に入れているが、人のありかた(1)によって大勢は決まってしまうのである。内面的な富をもっていれば、運命に対してさほど大きな要求はしないはずである。

さらに、人柄(1)はわれわれから奪い取られることがない。その意味で、他の二種の財宝(2)(3)が単に相対的な価値をもつに反して、人柄の価値は絶対的な価値だということができる。

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