§57-3 精神の容量

非常な歓喜を覚える人は激しい苦痛も味わわなければならない。これは、一度に受け取れる歓喜や苦痛の容量が、その人の精神的感受性により一定だからである。

非常な歓喜や苦痛は、現在的なものではなく、未来の先取りによる。言い換えれば、それは誤謬や妄想である。

我々は、事物の関連を明瞭に見渡して理性的に洞察し、辛抱強く自制しなければならない。しかし実際には苦い良薬には目を防いでしまうほど、我々は愚かである。

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