悟性が世界を直観できるのは、身体の受ける刺激による。
しかしわれわれが身体を直観する場合は、他の表象と同じではない。
われわれは身体の動きを、他の客観と同様に認識しているだけではなく、
意志を通して主観的にも認識しているからである。
意志の働きと身体の活動は、原因と結果ではない。これらは同一のものである。
身体の動きを随意運動とか不随意運動とかいうが、
意志を通して主観的に認識しているものを、
客観的に認識したらこのような表現になるに過ぎない。
いわば、身体の活動は客観化された意志である。
このように、身体の活動は直接の客観である(§も参照)。
意志の働きと身体の活動は同一なので、意志を客観化したものも直接の客観である。
ゆえに私は、身体を、意志の客体性と名づける。
意志が興奮すれば、身体の機構はゆさぶられ、乱される。
意志の働きと身体の活動は、このように表裏一体である。
この事実は、もっとも直接的な認識、最高の意味での奇蹟であり、
相対的な真理ではなく、それゆえに演繹も証明も出来ない。
また分類も出来ず、論理的な真理/経験的な真理/先験的な真理/高次論理的な真理のいずれにも該当しない。
われわれはこの事実から出発して、「知(Wissen)」に高めていく。