物質が認識されるのは、認識に働きかけるときだけである。この事を物質は因果性であるというが、これは物質そのものは概念に過ぎないことを意味する。物質自体は直感されることができない。物質は単にイデアと個体の関節である。というのは、物質の諸現象、重力、凝集力、剛性、流動性、光への反応性はイデアの現象だからである。
建築は(住むためのものだから)意志に仕える不純な芸術だが、重力や剛性、光への反応性といった、素材のイデアを表現することはできる。この重力と剛性の闘いこそが、建築の美の源泉である。
何と言っても、ある建築作品を見ていて感動しているとき、その材料が軽石であると打ち明けられたら、贋の建物に思えて興ざめだろう。
木造建築が美術たりえないのも同じ理由である。このことを説明できるのは今のところ私の理論のみである。
建築の部分部分の美しい造形は二義的なものである。何故なら、廃墟でさえ美しいからである。
日光や月光も建築を美しくする。
建築は実用本位なので美的側面が弱いが、実用のため数多く建築、維持されてきたので、実用性があるから美術として不利かというと、一長一短である。
水道芸術(噴水)は、建築に加えて流動性のイデアを表現するが、実用性はない。