学者と思想家

学者とは書物を読破した人、思想家とは世界という書物を直接読破した人のことである。

出典:

  • 「読書について」 思索 §2
    上の文章の出典。また同じ章に、
    『目に映る世界は読書とは違っていかなる既成の思想も押し付けない。ただ素材と機会を提供して、その天分とその時の気分にかなった問題を思索させるのである。』
    とある。
  • 「読書について」 思索 §4
    『読書は思索の代用品である。読書は自らの思想の湧出が途絶えたときにのみ試みられるべきものである。』
  • 「教育について」 §1
    『まず直観が存在し、概念は後から出来る。私たちの知性がこれを可能にする。これが自然な教育である。だから、人為的な、概念の伝達に頼った教育は間違いである。』
    『だから学者には往々にして無学の人でも持っている常識が欠けている。』
  • 「意志と表象としての世界」 §38-1 美の認識
    『自然は外部から芸術家に歩み寄り、純粋認識の情調にしてしまう。』
    『一方、大多数の人間は一人で自然を相手にすることを好まない。彼らは友人や仲間を必要とし、少なくとも本を必要とする。』
    自然の美の鑑賞について。

解説:

ショーペンハウアーが多読家であったことは、その著作に置ける引用の膨大さから伺えるが、常に他人の思考に乗っ取られないよう気をつけていた。

彼は思想家に独自の思想を生み出させ、芸術家に作品を産み落とさせるのは、この世界の「純粋」直感であると考えた。それに対し、読書とは、「他人の思考を頭の中で再生させること」であり、出来るだけ避けるべきことと考えた。

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