過去に積み重ねられてきた存在論が、逆に存在への問いにとっては邪魔でしかない。ならば壊そう。
カントは有時性の分析に失敗した。
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言ったものの、「あり」とはどういう意味か説明出来ない。
アリストテレスも、有時性の分析をしていない。
全ての存在論の過ちを取り除くことで、存在への問いが不可避であることが明白になるだろう。
過去に積み重ねられてきた存在論が、逆に存在への問いにとっては邪魔でしかない。ならば壊そう。
カントは有時性の分析に失敗した。
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言ったものの、「あり」とはどういう意味か説明出来ない。
アリストテレスも、有時性の分析をしていない。
全ての存在論の過ちを取り除くことで、存在への問いが不可避であることが明白になるだろう。