§6 存在論をぶっ壊す

過去に積み重ねられてきた存在論が、逆に存在への問いにとっては邪魔でしかない。ならば壊そう。

カントは有時性の分析に失敗した。

デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言ったものの、「あり」とはどういう意味か説明出来ない。

アリストテレスも、有時性の分析をしていない。

全ての存在論の過ちを取り除くことで、存在への問いが不可避であることが明白になるだろう。

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