ショーペンハウアーの哲学

§2-2 苦痛と退屈

人間の幸福に対する二大敵手は 苦痛と退屈 原文検索 である。

苦痛から遠ざかれば退屈に近づき、退屈から遠ざかれば苦痛に近づくというように、われわれの生活は、苦痛と退屈の間の振り子運動である。例えば下層階級の人々は困苦すなわち苦痛と不断に闘い、これに反して富貴の社会は退屈を闘っている。退屈から逃れるために、困苦から生じた文明の最低段階である流浪の生活が、文明の最高の段階に見られる漫遊観光を通じて結局再現されているのである。

退屈の根源は内面の空虚であり、あらゆる種類の社交や娯楽や遊興や奢侈を求める心となる。この空虚が多くの人が浪費に走らせ、やがて貧困に落ちる。こうした貧困を最も安全に防ぐ道は、内面の富、精神の富である。優れた頭脳は全く退屈知らずで、同時に高度の感受性を持つから、意志、情熱の人一倍の激しさを根本としている。そのため、苦痛に対する感受性が高まり、才知に富む人間は何よりもまず苦痛のないように努め、安静と自由な余暇とを求める。そのために静かでつつましやかな、誘惑のなるべく少ない生き方を求め、いわゆる世の常の人間というものに多少近づきになってからは、むしろ隠遁閑居を好み、いっそ孤独をすら選ぶであろう。

人の本来具有するものが大であればあるほど、外部から必要とするものはそれだけ少なくて済み、自分以外の人間というものにはそれだけ重きを置かなくてよいわけである。
だから精神が優れていれば、それだけ非社交的になる。逆に精神的に貧弱で下等な人間であれば社交的だ。この世では孤独と共同生活とのいずれを選ぶかということ以外に格別の生き方もないのである。

余暇の時間に凡夫はただ時を過すことばかりを考える。

どこの国でもおよそ社交界の主要な仕事は、トランプ遊びということに相場が決ってきた。トランプ遊びは社交界の価値を計る尺度であり、あらゆる思想の欠如を示す破産の宣告だ。彼らは交わすべき思想の持ち合せがないから、トランプの札を交わし、互いに金をふんだくろうとする。ああ、何とみじめな輩だろう。あらゆる奇襲あらゆる手管を弄して、他人のものを奪い取ろうというトランプ遊びの精神は、実生活に根をおろし、たまたま自分の手中にあるならどんな利益でも法的に許されるかぎりは争って差し支えないという傾向になってくる。

輸入の必要のない国がいちばん幸福な国であるのと同様に、内面の富を十分にもち、自分を慰める上に外部からは何ものをも必要としない人間が、いちばん幸福である。こうした供給は多くの費用を要し、輸入国を従属的な地位に立たせ、危険と不満をもたらし、結局は自国の生産物の埋め合せにはならないからだ。