ショーペンハウアーの哲学

§27-1 原因論と哲学の両立

原因論のなすべきは

を探し出すことである。現象の相違が原因の相違に由来するのか、諸状況の相違に由来するのかは判断が難しい。

意志は客観化すると、表象となる。これが現象である。
意志自体は無根拠であるが、客観化によって生じた表象は、原因をもつ。
例えば、意志の現象であるいかなる運動も、時間的、空間的、個別的な現象として説明することかできるし、原因をもつ。
これは石の場合には機械的な原因であり、人間の場合には動機である。

それでは、原因によって現象は説明できたことになるだろうか。
そうではなく、この説明が大前提としているものがある。現象全般に共通する本質、普遍的な自然力である。
普遍的な自然力、つまり意志には存在の根拠がないために、原因論的な説明は行きづまり、物理学においてはこれは「隠れた特性」のままでありつづける。

自然の原因論と自然の哲学とは相互にけっして妨げ合うことはなく両立し、同一の対象を異なった観点から眺めるものである。
自然の哲学は原因論を否定しない。
原因と結果とを繋ぐ鎖が根源諸力にまでさかのぼっていくのは、根源諸力が鎖の最初の環であるからではない。
原因と結果とを繋ぐ鎖の全ての輪が根源諸力の現象である。
原因論つまり物理学が完成すれば、無機的自然界に未知の力はなくなり、自然法則に従って証明されない結果もなくなるが、その自然法則はいまだ根源諸力の現象である。