ショーペンハウアーの哲学

§28 イデアの相互適応(外的な合目的性)

意志の多様な現象(諸イデア)は、和解なき闘争を永遠に続けている。

特にイデアは人間を頂点とするピラミッドを形成しており、人間かその維持のために動物を必要とし、動物は段階的に他の小動物を、またさらに植物を必要とし、植物はふたたび土壌、水、化学的要素、ならびにそれらの混合物、惑星や太陽、自転と太陽をめぐる公転、黄道の傾斜、等々を必要としている。意志以外にはこの世界になにひとつ存在しないのに、しかも意志は飢えたる意志であるから、おのれ自身を食い尽くさなければならない。狂奔、不安、苦悩、いずれもここに由来するのである。

しかし、イデアの相互作用には適応という面もある。この面は、動物の行動を観察するとよく分かる。

まず一つは、空間的な適応である。動物は環境に適応しているが、逆に環境が動物に適応するということも起こる。これは、イデア同士が時間の外で相互適応しているからである。

それぞれ適合しているのである。

このイデア間の協調的な相互作用を外的な合目的性という。

外的な合目的性の他の二つは、時間的・因果的な適応である。

いかなる動物も、時間的にすでに前からあった環境そのものか、やがて将来に生じるであろう生物をも同様に考慮に入れていたと想定することができる。現象は現象である以上、因果の法則に従っているが、時間の順序のなかへ自分の現象をより早く出現させたイデアは、遅く出現させているイデアよりも、時間的に早いというだけでなんらかの特権をもっているわけではない。むしろ自分の現象を遅く出現させているイデアの方が、ちょうど意志の客観化のもっとも完全なものになっている。(ショーペンハウアーの考えにはこうした直観的な進化論の萌芽がみられるように思える)

この現在においては、種族は自分を維持するだけではなく、自然の先慮に従っている。本来的に時間の順序をいわば切り捨てながら、未来へと及んでいく、そのような自然の先慮を目にすることがあるのである。こうした例をあげるなら、

本能は、このように目的概念に従った行為にきわめて似ていながら、実際には目的概念を完全に欠いている行為である。これが、イデア間に合目的性がある証拠である。