認識は、今や多様な欲望をいだいている人間存在を維持する手段である。
普通の人間の場合、認識は意志に奉仕している。
科学については、特にこの事実が顕著に表れている。科学は法則を発見することで概念を一般化し、認識を容易にするためのものである。
特に、全ての科学的な事象は時間の中の現象であるから、真の実在を扱えない。そこで持続と呼ばれているものは、永遠ではないということに過ぎない。
「時間とは永遠の動く彫像である」(プラトン)
さて、人間は他の動物とは違って、頭の部分が身体から完全に分離している。このことが象徴的に示しているように、意志への奉仕から認識を解き放つことが可能である。