音楽は世界に存在するイデアの再現ではない。音楽は人間の最奥に語りかける普遍的な言語である。音楽は世界を再現しているのだが、この直接的理解を抽象的に把握したものはいない。
私は長らく音楽にはまってきたが、ひとつの解明に辿り着いた。それは音楽がイデアの模写ではなく、世界の模写、すなわち意志の模写であるということである。
私はこのことを証明することは出来ない。この章は、しばしば音楽に耳を傾けながら聞いてもらいたい。
和声について
根音バスは、星の質量、すなわち無機的な自然界である。軽快で、消えて行くのも早い倍音は、星から産まれた全物質、個別的な現象界である。それらの中間にある充填声部は、イデアの系列に対応する。
和声進行が合法則的であるのは、これらのイデアに自由意志が無いからである。
旋律について
旋律は自由意志をもつ、人間界に対応する。音楽は感情と情熱の言語である。
旋律を編み出すのは天才の業である。これはインスピレーション、神の息吹と呼ばれる。この過程に概念は存在しない。旋律は、願望から満足へ、また願望へと振り子運動をする、人間の生活そのものである。(ドミナントモーション)
短調と長調について
リズムとの組み合わせにより、短調と長調は我々の感情を支配する。
オペラについて
音楽に肉と骨のころもを被せようとしてオペラは生まれた。もし音楽があまりに歌詞に引きずられると、音楽は自分のものでも無い言葉でおしゃべりをしようとあくせく骨折ることになる。ロッシーニのみがこういう間違いを犯さないことを綺麗に守れた。
冒頭で音楽は世界を模写していると言ったが、音楽と自然界とは、意志の異なった二つの表現なのである。だから、交響曲に感銘して浸り切っている人には、あたかも世界の全ての出来事が周りを通り過ぎてゆくように感じるが、正気に帰ってみれば、交響曲と今見えた事物との間になんの類似性も見出せないだろう。両者は一つの意志を、違う角度から眺めたものだからである。
概念と音楽は、個別の現象に対して普遍性を持つという点で一致しているが、概念が空虚な殻であるのに対して、音楽は現象のいっさいの形式に先立ちその奥にある核心である。概念は事物以後の普遍、音楽は事物以前の普遍、現実は事物の中の普遍である。
音楽は親しみの持てる楽園、永遠に近い天国として我々のそばを通り過ぎてゆく。音楽はいくら反復しても心地よい。文学であれば、反復記号は煩わしいだけだろう。
音楽は悟性を必要としない。音楽は結果から原因へさかのぼる必要がないからである。
こうして音楽を哲学で解明することが出来たなら、それは世界を哲学で解明出来たことと同じである。