ここまで論じた正義は、実は時間的な正義に過ぎない。未来のための仕組みだからである。ここでは、永遠の正義について述べよう。
実は、永遠の正義は既に実現されている。個体化の原理に囚われた人間には、悪行と被害が別個のものに見えるだろう。しかし、意志を満足させる不正行為こそか、自分の生の苦痛の一切を生み出しているのである。害と悪を、ただ一つの生きんとする意志の異なった二面に過ぎないことを認識出来るものは稀である。だから彼は、害をなすことによって、個体としての自分の苦しみから逃れようと試みることがしばしばあるのだ。
このように、個体化の原理に完全によりかかって生きるのは、荒れ狂った海上で、一艘の小舟に命を託すようなものだ。
永遠の正義の意味は、自分が被る悪行は、全て自分の本質から流れ出しているという教えである。つまり、人間の至上の罪は、生まれてきたことなのだ。
これはキリスト教の原罪の教えであり、ヴェーダの中核、ウパニシャッドの、tat tvam asiという教えである。また、ウパニシャッドの教えを生きて最後に報酬として得られるのは、「汝は二度と生まれ変わらなくてよい」ということである。