先日、東大ドリームネットで話す機会をいただきました。テーマは
「自分と社会の接点をどうデザインするか」
その時の原稿です。
“スーパーボールのように跳ねろ”
自分はなんというか、一切の計画をしないで生きてきました。
夏休みの宿題は31日以降もやりませんし、
塾では宿題をやらないので宿題免除になり、
授業は寝てるか、麻雀してるか、
SOYプロテインがわりの大豆をホットプレートで炒っているか、
受験勉強も高3から問題集の解答を丸覚えしてごまかし、
大学時代は野宿をしておりまして、
就活もしてませんし、
バイトを探したのは留年してからで、
会社員になっても目標が書けず、
最低評価を何度かいただき、
パワポを書くのが大嫌いなので書きませんし、
進捗報告が大嫌いなのでしませんし、
会社をすぐ辞めますし、
キャリアや役職というものが心底どうでも良く、
行き当たりばったりな転職を繰り返しています。
そのおかげで、無一文にも2回なりましたが、人のできない経験を色々して、いろんな発明を世に出してこれて、人類の歴史をちょっと前に進めることができたと思います。
自分は「スーパーボールのように跳ね回る」と言われます。
僕はスーパーボールが好きです。カラフルな安っぽい色も好きですし、中に入っているキラキラも好きです。
自分というスーパーボールにとって社会とは壁や床や天井のようなもので、
怒られたり褒められたりするもので、
衝突する一瞬の接点にいかに全力を込めるかで、常に叩きつけられながら速度を増し、
発明につなげるという方法論を
確立したような気がします。全力でぶつかれば、マリオのように、壁からコインが出てくるかもしれません。
名付けて、「スーパーボール理論」。
- 筋トレ。
- 一切の計画を排除。
- 壁に全力でぶち当たり、
- 跳ね回るべし。
あくまで私の特殊な例ですが、15歳から10年間数学をやっていたところ、
なぜか、2011年に無一文になりました。
そこで、研究室の先輩に言われて、プログラミングを始めました。
なぜか、お金がもらえたので、昔からプログラマーになりたかった〜プログラマー最高ぅ〜みたいなことを言い出して、プログラマーになりました。
すると、なぜか、卒業後に入った会社が上海にオフィスを作り、中国人の友達ができ、
なぜか、大学院で使っていたSVMでGoogleが道路標識のデータ化を始め、
2012年にAlexNetが発明されてディープラーニング時代が始まりました。
なぜか、そのおかげで、2014年に、微分したらお金がもらえるようになりました。
そこで、なぜか、優秀な若者に仲良くしていただけるようになりました。
すると、なぜか、中国人の若者にウイグルに連れて行かれ、ビンゴボックスを知り、無人店舗に詳しくなりました。
その頃、なぜか、また無一文になってしまいました。
すると、なぜか、画像の会社に採用されまして、
なぜか、いろいろな小売の会社と仲が良い同級生とお知り合いになりまして、
なぜか、福岡に住むことになり、
なぜか、福岡の野間四角という場所にて毎晩無料でウヰスキィを飲ませていただけるようになったので、
遠慮なくがぶがぶと飲んでいたところ、
薄れゆく酩酊状態の意識の中、昔のその優秀な若者が夢に出てきて、
彼に昔教えてもらった理論を突如実装したら、
なぜか、儲かってしまったという次第になります。
世の中、真面目にやらない方が、うまくいくのではないでしょうか。社会に出ると説明責任と計画性を求められるのですが、ある種の恩返しはそれらを全部放棄して適当人間にならないとできないというビジネス書が一冊書けるんじゃないか的なパラドックスを今発見しました。タイトルは「Fumajime as a Service」にします。
感謝。すべてに、感謝して生きております。
今後も、全く適当に生きていこうと思い、そのようなアドバイスを未来ある東大の学生諸君に垂れて終わりたいと思います。