AIとの出会い

中学に入学すると、ミズグチという奴がいた。ヤツは12歳の若さで「パーセプトロン」にハマっていた。これが俺とAIとの出会いだ。

2年後、彼とアキモトとスーパーコンピューターコンテストに出たとき、ツチオカという数学者がいた。そこで、C∞級多様体の説明をしてもらった。わからん。その後、「線形代数と群の表現」を教えてもらった。最終日、彼のブロマイドを渡された。

その時は数学関連でメシをくう事になるとは思ってもいなかった。

プログラミングには苦手意識があり、物理学の道に進もうと思った。6年間もハミルトニアンにどっぷりハマり、みんなとも疎遠になっていた。ハミルトニアンのサイトを作り、ハミルトニアンを愛でて眠った。ネットでもイタい人として当時は有名だったと、現在の同僚は言う。そんな時、ハミルトニアンでは説明できない概念、カオスに出会い、世界がひっくり返った。

金子研究室ではカオスを起こすためにニューラルネットワークを使っていた。これがパーセプトロンとの10年ぶりの再会であった。RNNやLSTMの話をみんなしていた気がする。あと物理の研究室なのでホップフィールドこそ神であった。俺は彼のアナログ回路の論文が好きだ。

しかし俺はと言えばサポートベクターマシンの数学的厳密さに心をやられていた。当時はアメーバが迷路を解いた時代だ。俺はヤツに迷路を解かせようとしたが解けなかった。かわいいやつだ。

同僚のコンドウやカミノにはPRML(パターン認識と機械学習)や渡辺澄雄を習った。感謝している。

ある日図書館でD5の先輩が俺のサイトを印刷して読んでいた。俺は知らないフリをした。俺の目的は、GoogleMapが標識を自動検知したという論文を見つけることだった。

たぶんこの論文だと思う

http://static.googleusercontent.com/media/research.google.com/ja//pubs/archive/37648.pdf

神かと思ったが、その時は俺には出来ないと思った。これが俺とCVとの出会いだった。

さて退屈な社会人生活が始まる。3年後、なぜか会社が社運をAIに賭けると言い出した。その頃には夢も希望も失い、AIのことなど忘れていた。ググってみると時代は変わっていた。俺はとりまテセラクトと射影変換を駆使して「レシート認識機能」を作った。上司にボロクソにけなされた。「君、美術館とか行かないでしょ」ある日、それはしれっと会社の公式サイトに使われていた。辞めるときに誰がレシート機能を作るんだと怒られたが、知らん。

俺はムカついてGoogleグラスに映る全てをレシート認識するアプリを作って一儲け企んだが失敗した。若かった。

会社では肥満した上司が指数関数すら理解できずに怒鳴り散らしていた。

会社は辞めた。

Googleの猫の顔概念獲得の論文がニュースでやっていた。2012年。なんと、あと1年だけ勉強していれば俺にも手が届いていたのだ。俺は自分の愚かさに涙した。俺は反省して、昔好きだったコルモゴロフシナイから勉強をやり直すことにした。

簡単すぎた。全てが簡単すぎた。時代はスパースデータで、確率モデルだった。ベイズを一通りやって飽き、動作原理が気になっていた。会社の昼食の誘いは全て断り、マクドナルドで毎日情報幾何や代数幾何を勉強した。必死で鉛筆を動かした。勉強会に行けば歓迎され、俺は自分が正しい道の上にいることを知った。そして時代はスパースデータからデンスデータになった。

会社では50代の上司に「君エンジニアだからデータサイエンスとか分からないでしょ?」と言われた。彼は自分のことをドラクエでいえば仲間が集まってくる勇者だと言った。

また会社を辞めた。

31歳になった。クソみたいな人生だった。どうにかして画像で3度めの正直を目指さないと人生が終わる、いじんぐと思い詰めた。このとき初めて死ぬ気で勉強したように思う。

多分年間100本以上画像の論文を読んだ。画像は美しかった。画像の理論は物理学だった。それはイジングモデルであったし、つまりはハミルトニアンであった。そしてそれはこの汚い世界において、あまりにも美しく、唯一の生きる希望だった。