§57-3 精神の容量

非常な歓喜を覚える人は激しい苦痛も味わわなければならない。これは、一度に受け取れる歓喜や苦痛の容量が、その人の精神的感受性により一定だからである。

非常な歓喜や苦痛は、現在的なものではなく、未来の先取りによる。言い換えれば、それは誤謬や妄想である。

我々は、事物の関連を明瞭に見渡して理性的に洞察し、辛抱強く自制しなければならない。しかし実際には苦い良薬には目を防いでしまうほど、我々は愚かである。

§57-2 不変の苦痛とそれへの対処

絶え間無い苦痛が人間の本質だから、逆に何をしても苦痛の総量は変わらないということを認識すれば、心は慰められる。苦痛は偶然に左右されない必然だ。

苦悩を追い払うことは出来ない。苦悩は絶えず形を変えてやってくる。性衝動、愛、嫉妬、羨望、憎悪、不安、名誉心、金銭欲、病気…。

しかし、我々が苦痛に対してイライラするのは、それを偶然だとか、自分の運が悪いせいだとか思うことによるのである。

苦痛は必然であり、あらゆる形をとって絶えずやって来ると分かっていれば、我慢が出来る。死や老いに我慢がならなくて始終イライラしている人がいないのも、それが避けようのないものだからである。

普通の人は苦痛を外的原因によるものと考え、いつも苦痛の言い逃れを見つけようとしている。これはあたかも、自由の身でありながら、奴隷に戻ろうとするような行為である。

§57-1 休み無い死

現在が手をすり抜けて過去になっていくことは、死への休むことの無い移行だ。

歩行は絶え間無い転倒の阻止である。活気は絶え間無い退屈の延期である。食事も睡眠も暖をとることも、死の延期である。

この不断の生への努力によって苦痛が生まれる。

人間は苦痛と退屈の間を往復する振り子運動だ。さらに生殖の義務と、外敵とが人間を脅かす。

そして、最期には必ず死との闘いに敗北する。人生は難破を目指して、岩礁と渦巻きに満ちた海を航海することである。

§4-5 3つの名誉

市民的名誉とは、平和的な社会に仲間入りするための名誉で、一度でも蛮行を起こせば失われてしまう。

誹謗や怪文書によっても失われてしまうから、法律により取り締まられている。誠実と信用が大事である。と書くとつまらないが、そもそも名誉とはそれを担う人が例外的人物でないことを表すのである。老年者の名誉も、長い間の市民的名誉の維持に信用がある。

職務上名誉とは、ある職務を司る人が、そのためのあらゆる能力をそなえ、任務を果たしているという評判である。違反者を厳しく告発する自浄作用もこの名誉を支えるのに不可欠である。官吏、医者、弁護士、教員、大卒者、軍人がそれぞれの職務上名誉を担っている。

最後の性生活上名誉は、女性の名誉と男性の名誉とに分かれている。

これは明白で、未婚の女性に対してはまだ男性に身を許していないという評判、既婚の女性に対しては1人の男性にしか身を許していないという評判である。この名誉も自浄作用で守られているが、結婚制度を維持しようという力が違反者を厳しく糾弾するのである。何故なら結婚という割に合わない取引は、信用のみに支えられているからである。

君主だけは、国益の定めた相手としか結婚出来ないから、可哀想だということで妾の制度が維持されてきたが、妾のほうも愛し合っても結婚出来ずに不幸であり、例外として黙認されている。

さて、男性の性生活上名誉は女性に対する労働組合的なものに過ぎず、姦通を厳しく罰しようというルールであり、これが出来なければ男性社会から不名誉を着せられる、というだけである。しかも情夫は処罰されないものなので、消極的な起源をもつ名誉だとわかる。

§4-4 誇り

誇りには2種類ある。

自分の人柄(1)に対する誇りは持つべきである。自らの長所を忘れると、低レベルな人間と交わって、釈迦に説法の説教をされることになるだろう。何故ならあなたの内面の長所は彼らに見えないので、すぐ忘れられてしまうだろうから。

これに反し、民族の誇りは最も安っぽく、いたずらに持つべきではない。これは、自らの内面になに一つ誇りを持てない憐れな輩が最後に逃げ込む場所である。

§4-3 虚栄心

虚栄心とは、自分に圧倒的な価値があるという「確信」を、他人の心中に呼び起こしてみたいという願いである。そうすれば自分も、自分自身に価値があると思えるのではないかという、密かな期待が伴っているのだろう。

要は他人の思惑によって自分の価値の認識を変化させようというわけで、この方法で「自分の価値に対する揺るぎなき確信」が得られないのは明白である。誇りも得られない。誇りは確信に基づいており、われわれに左右出来ないからだ。

虚栄心の強い方々に御忠告差し上げたいのは、どんな素晴らしい話がおできになるとしても、ずっと黙っておいでのほうが、他人の好評が得られるということである。

§4-2 名誉欲

「賢者でも名誉欲は捨て難い」と昔から言う。名誉欲の迷妄の本質は、自分にとって直接には存在していないもののために、自分にとって直接存在しているものを犠牲にしてしまうことである。名誉欲について次のことを知っておけば、この罠に陥ることは無い。

  • 名誉は他人の頭脳の中にしかないものだから結局間接的な価値である。
  • 他人の意見は大抵われわれに影響しないものである。
  • 名誉欲の強い人間は他人が自分を褒めるのを聞きたがるものだが、面と向かっては自分を褒める人間が、陰で自分の噂をするさまを聞いたら、癇癪を起こして病気になってしまうほどである。

結局名誉欲に囚われれば、心の安静と満足という、幸福の条件を自ら失うことになる。

§4-1 人の与える印象

猫は撫でてやると必ず喉を鳴らすが、人間も得意なことで褒められると、喜色満面になる。

人は他人の意見の奴隷であり、この喜びを過大評価しないよう、気を付ける必要がある。

人のあり方(1)と有するもの(2)に対して、人の与える印象(3)はわれわれにとって本当に存在するものではない。およそ人の頭には未熟さ、浅薄さ、偏狭さ、おびただしい誤謬が渦巻いており、どんな偉大な人物にも寄ってたかって非難を浴びせるものではないか。

§56 意志の肯定と否定

人間の生き方には二つの可能性がある。

ひとつは、意志である自分の意欲を、次々に満たして行く生き方。これが、意志の肯定である。

もう一つは、イデアの認識を鎮静剤とし、意欲することを自然と辞めてしまう生き方。これが、意志の否定である。

従って、前者の生き方で、意欲を満たしきることが出来るのかが問題になる。

宇宙は無目的である動物の世界は苦悩の方が多い。では人間の世界は、快楽が苦悩を補って余りあると言えるだろうか?

§55-2 概念の闘技場

人間には自由意志が無く、行動は必然である。その過程が動物と異なるのは、人間においては抽象的な概念を比較検討することにより、長期的なメリットなどが考慮された決断が下せる事である。

いわば、人間は概念の闘技場であるといえる。

人間は概念を利用することで生存を有利にしたが、逆に人間の最大の苦悩も概念から生まれることになった。

例えば死は概念であるし、人に指摘されて初めて苦悩が生じる場合などは、概念の伝達された場合である。精神的苦悩から逃れるために、肉体的苦悩を自ら選ぶことさえある。例えば、悩んでいる時に頭を掻きむしる行動がこれである。