存在への問いが、適切に設定されるべきである。
とくに、存在の意味が何であるかの問いが、適切に設定されるべきである。
※「存在」と「存在の意味」が異なることに注意
問いを構成する属性には、以下がある。
- 問われているもの
- 問われているものが方向づける、問いの方向性
- 問われているものが方向づける、問いの傾向
- 問いかけられているもの
- 問いたしかめられるもの(=答え)
- 問いたしかめられるものまでの近さの程度
- 問う者がとる態度
存在の意味が何であるかの問いでは、以上の属性は以下のように設定されるべきである。
- 問われているものは、「存在」
- 問いの方向性は、「存在了解が常に存在していること」
- 問いの傾向は、「存在の概念に達しようとする傾向」
- 問いかけられているものは、「存在者自身」
- 問いたしかめられるものは、「存在の概念」
- 問いたしかめられるものまでの近さの程度は、「存在了解の明るさや暗さ、そして暗くするもの(邪魔者)の存在」
- 問う者がとる態度は、「漫然と問うのではなく、明示的に問題設定を行う」
以上を補足すると、次のようになる
存在了解について
我々は存在とは何か知らないのに、漠然とした存在了解を持っている。つまり、存在への問いを設定することの目的は、漠然とした存在了解を、「明確な概念」に変えることである。
同様に、「存在とは何で『ある(ist:ドイツ語)』か?」と問うとき、循環論法に陥っているのではないかと不安になるが、これは錯覚である。『ist』が漠然とした存在了解なのに対し、この答えは明確な概念なのだから、同じものではない。
存在者について
存在の意味が何であるかを最も明らかにするためには、問いかけられているものである「存在者」自身が、おのれの存在の諸性格を誤りなく呈示できるべきだ。言い換えれば、存在者は、近づきうるものであるべきで、そのための通路が確保されているべきである。
そのような存在者は、存在問題において、優位を持っている。通路が確保されているとは、その存在者が問いを発するということである。このような、問いを発することによって優位を持っている存在を、現存在と術語的に表現する。我々は、存在の意味を明瞭な概念にするために、優位を持っている存在者つまり現存在から出発すべきである。
結論
我々は現存在から出発すべきである。現存在は、存在了解を持つこと、問いを発することの2点により優位を持っている。
次に探求すべきことは、以下である。
- 存在者にひそんでいる存在を眺めやる方法は何か
- 存在の意味を概念的に補足する方法は何か
- 優位を持っている存在者に近づく方法は何か
- 現存在自体の究明