§4-5 神の存在証明2

要約

真理の一種として、幾何学者の対象がある。例えば、ひとつの連続した物体、すなわち長さ、幅、高さ、深さにおいて無限に広がり、そして種々の形と大きさを持ち、どんなふうにでも動かされ、位置を変えられることの可能な、種々な部分に分割することのできる空間という概念がある。

しかし、全ての人々がこういった概念に見出している確実性は、我々がそれを明証的に理解するという点以外に根拠が無いのだ。当然、幾何学のの証明のなかにも、その対象の存在を保証するものは何も無い。例えば三角形を仮定すれば、その三つの角の和は180度に等しくなければならないが、この世界にこうした三角形など存在しないのだ。

完全な幾何的観念をさらに検討するなら、

  • 三角形の観念にはその三つの角の和は180度に等しいということが含まれ
  • 完全な球の観念にはその表面の各点は中心から等距離にあるということが含まれ

ているのと同様に明証的に存在するという属性が仮定されているから、我々がこれらの概念を認識出来るのだ。

したがって完全な存在である神にとって「存在する」ということは完全性の属性のひとつであるから神は存在し、我々も神を認識出来る。幾何学の概念の存在が確実であるのと同様、神の存在も確実である。

解説

神の存在証明の根拠の2つめは、「存在とは神が実現する属性の一つである」という論理である。
なぜ人間がそうした概念を操れるのかは、確かに不思議である。プラトンがイデアと呼んだ概念を人間の中に「置いた」存在が、デカルトの言う神である。

しかしこの論法だと、人間が想像可能な『完全なもの』は全て存在することになる。
完全なものがその完全性ゆえに存在するという論法は、アンセルムス(1033年 – 1109年)に遡る、原始的な詭弁術であり、「本体論的証明」と呼ばれている。

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