要約
上記3つの格率の目的は、自己の理性を教化し続けることであった。
私がしばらく他人の意見で満足することに甘んじた(格率1)のは、時機が到来した暁には私自身の理性でそれを検討するつもりだったからだ。そして、そのなかにより優れたものを発見することを期待していた。「ありとあらゆる知識の獲得」のための、自分の方法を信じ続けた(格率2)からこそ、自分の欲望を制限し、自ら満足することが出来た(格率3)。
良い判断が出来れば、結果が出る。その結果に対し、我々が法則を確信する時、我々は満足を覚える。
私はもはや、自分の意見の残りの全てから、いつでも自由に脱却できると判断した。
だから、この暖炉部屋にそれ以上閉じこもるよりは、世間と交わるべきだと考え、冬のうちに再び旅に出た。その後九年間、私は世間を見物する以外には何にもしなかった。
私は、岩石や粘土を見いだすために土や砂を取り除くようにして、全てを疑い誤謬を根絶したあとに残ったものから確信を得た。私はほぼどんな命題からも、十分に確かな何らかの結論を引きだした。
自分の意見を疑い破棄するとき、私は観察によって多くの経験をえた。古い住居の材料を新しい家に再利用するように、私はその経験を、後にもっと確かなものを建設する際に役立てた。
私は自分の方法を練習し続けた。私は自分の全ての思想をこの方法の規則によって導いた。
私は時間を確保し、数学や、確実な部類の科学の難問にこの方法を適用した。(後述)
静かな邪念のない生活を送っていた私は、人には、有り余る余暇に退屈しのぎをしているだけに見えただろう。しかし私は絶えず自分の計画を追求し、真理の認識に前進した。私は、読書や、学者との交際以上の経験を得た。
しかしこの九年の月日は、哲学の基礎の探求に手をつけられないまま過ぎ去った。優れた人々が失敗するのを見て、私は怖気づいた。しかし私は、すでに哲学の基礎の確立に成功していると噂されていた。
私はかれらが何を根拠にそんな評判を立てたのか知らないが、恐らく以下のことから、私を過大評価したのだろう。
- 私は率直に、自分の知らないことは知らないと告白した
- 私はどんな他人の学説にも頼らなかった
- 私は人々が確実だと見做している事柄を疑い、その理由を示すことが出来た
私は過大評価を嫌い、自分が評判に値するように努力した。そして八年前、私は知人のいそうなあらゆる場所から遠ざかり、オランダに引き篭もった。オランダは80年戦争により秩序と平和を確立していた。大都会の便宜がありながら、群衆は勤勉で、人里離れた場所のように私は孤独な隠遁生活を送った。
解説
9年が過ぎた時デカルトは32歳であった。その時に閃いた考察が、第四部の中心となる。