要約
学者の仲間に入るや否や、私は疑惑と誤謬に悩まされた。
勉学に励んだことは、自分の無知を発見した以外には、何の効果も無いように思われた。
私はヨーロッパで最も著名な学校のひとつで、教授の座が確定している同級生にも劣らない実力だと見られていた。
現世紀はこれまでのどんな世紀よりも優っており、卓越した精神の持ち主がそこにたくさん集まっていた。
このような恵まれた場所でさえ、勉学のみに励む理由は見いだせなかった。
むしろ、私は他の人々を自由に批判するようになり、私の期待に答えられる学説はこの世には無いのだと考える自由を得た。
私は文字の学問を放棄した。そして自分のなかに、あるいは世間という大きな書物のなかに発見されるかも知れない学問のみを求めて、青春の残りを次のように費やした。
- 旅行
- 宮廷や軍隊を見る
- 各種の性格・身分のひとたちと交わる
- いろいろの経験を積む
- 機会を捉えて自分を鍛錬する
- さまざまの事柄について反省を加え、何らかの利益を引きだす
自分に関した事柄についてする推理は、すぐ悪い結果によって誤りを知ることができる。だから、より多くの真理に出会うことが出来るのだ。
それに対して、文人が書斎でする何の結果も生まない思弁は、それらを真実らしく見せようとしてますます才智と技巧を浪費し、常識からあえて遠ざかることで虚栄心を満たす無益なもので、真理に出会うことが出来ない。
だが私は確信をもってこの人生を歩いて行くために、真と偽とを区別すること(良識を正しく適用する方法)を学びたいという切な願いをたえず抱いていたのである。
文字の学問にこだわっていた時は他人の考察をなぞるにすぎず、何も確信を抱かせるようなものを見いださなかった。
しかし、自分の目でたくさんの物を見てみると、視野が広がり、理性を邪魔する多くの誤謬からだんだん解放されていった。
このように数か年間を世間という本について研究し、経験をえるために費した後、わたしはある日、自分自身の研究に全力を傾けようと決心した。このことはどうやら非常にうまくはこんだが、それにはまず、自分の国、自分の書物を離れる決意が不可欠であった。
解説
言うまでもなく、歴史に名を残したのは教授になった友人ではなくデカルトのほうなのだが、ドロップアウトしたからには、きっと彼なりの苦労もあったのだろう。デカルトは非常にポジティブな筆致で書いてるため、そこら辺の真実はわからない。
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