§2-2 全ての意見からの脱却

要約

例えば、一私人がある国家を根底から転覆させることによって立て直そうとすることは、まことに不条理なことだ。こうしたことを企図する人間、その素性も資産も公務の管掌には不適格でありながら、つねに何か新しい改革を念頭におかずにはいられないような気質のひとたちを、私はどうしても我慢できない。

そうではなく、一私人が自分の家を必要に応じて建て直すのなら構わない。

街を綺麗にする目的で街じゅうの家を取り壊すような例は見受けられないが、自分の家を改築するためとか、倒壊の恐れや土台が十分しっかりしていないために、やむをえず取り壊すひとはたくさん見受けられる。

同じことを思想に置き換えて考えるならば、一私人が、学問の全ての体系や学校秩序を改革しようとすることも不条理である。

そうではなく、一私人が、自己の精神の土台を鍛えなおすために、その上に築きあげたものを取り壊すのなら構わない。それには、私はその時まで信頼して受け容れてきた全ての意見から脱却するのが、最上の策であると確信した。
将来、より優れた意見を受け容れるか、もしくは是正した元の意見を受け容れるためである。
もちろんこの場合にも私は種々の困難を認めはしたものの、この困難は解決可能であった。

これとは逆に公の大きな組織に関したことを改革する場合、それがほんのつまらない改革であっても、多大な困難に出会うことになる。
さらに、諸組織の間に多様性があることによって、多くの欠陥が明らかになる。通常組織の欠陥は人間の習慣の力で緩和されている。習慣の力によりなんとかやっていくほうが、変化に対する組織の抵抗よりも楽である。それはたとえば山々の間をうねうねまわっている街道が、できるだけまっすぐに行こうとして岩をよじのぼり、絶壁の底に降りるよりは、はるかによいのと同じだ。

全ての意見から脱却しようという決意は、多くの人にとっては適した模範ではない。
世間は、自信過剰で自らの思想を導く忍耐心を持ち合わせず、思想的には一生さまよい通すタイプの人間と、謙虚ではあるが、他人の意見に追従することで満足してしまうタイプの人間とで殆どが占められるようである。

こうしたタイプの人々は、全ての意見から脱却しても、思想を得る事は出来ない。

解説

人が自分の力で変えられるのは、まず自分である。デカルトはストイックにそれを実現した。

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