§3-3 自分に打ち克つこと

要約

私の第三の格率は、つねに運命よりも自分に克とうと努力することである。世界の秩序よりも自分の欲望や思想を変えるために努力することである。

私は手に入れることのできないものは一切望まず、満足して暮らした。
我々の意志は、もともと我々の悟性が何らかの仕方で可能だと提示した事柄でなければ望まないように出来ている。
我々がシナやメキシコ王国が自分の所有でないのを遺憾に思わないのと同様に、財産を諦めればそれが無いことを遺憾には思わない。
同様に、我々がダイヤモンドのように腐らない体や、鳥のように飛べる翼を持とうと望まないのと同じように、病気の状態でむやみに健康になりたいと願ったり、囚われの身の状態で自由を願わずに済む。
こうした思考は習慣付け可能である。

しかし私は、万事をこのように眺める習慣がつくまでには、長期間の鍛錬と省察が必要であることを認めざるをえない。

ストア派の哲学者たちは、思想以外には自分達の力の範囲内には何も無いと結論し、他の事物に対する愛着を持たずに済んだ。
だから彼らは苦しみや貧困にも関わらず、神に匹敵するほど幸福だったのだ。
彼らは自分の思想を思い通りにしていたから、自然や幸運に恵まれていてそれを活かせない人々よりも、自分達ははるかに富んで、力にみち、自由で幸福であると考えた。

解説

デカルトの「方法」とは全てを疑い、自分のみと向き合うストイックなものである。また、物質的なものを脱却したいという考えが、随所に現れている。

ここでの価値観は、幸福とは主観の持ちようであるというショーペンハウアーの幸福論に酷似している。

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