人間が善を認識したと思い込むのは、悪の衝動が見えなくなった時である。
となると、悪の衝動に盲目になった時が、最も善の領域が広がった時だろう。
だから、民衆や子供には朗らかさ(ショーペンハウアーの幸福論)が生じ、眼を見開いた思想家には陰鬱さが生じる。
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