「周囲に目撃されることを前提としている性質」がある。そのような性質は、独自の発展様式を持つ。我々の目につく道徳的性質、例えば勤勉さや、野心や、才覚も、これ見よがしなもので、同様に発展する。
爬虫類の鱗に刻まれた模様は、人間なら顕微鏡で確認できるが、同じ爬虫類には気づかれずに発展してきたものである。これは「目に見えにくい性質」である。我々の勤勉さや野心や才覚にも人に見えない部分がある。それは別の発展様式を持つ。
これを「無意識の徳」と呼ぶならそれでよい。ただ、そうした鱗の細かい文様を見るための顕微鏡を発明し、覗かずにいて、満足してよいものだろうか?