意味
裃を脱ぐとは、堅苦しさを捨て、打ち解けるということである。
自己防衛をしない
部下の失敗のおかげで自分が失敗したことになるのはよくあることだ。だからどうしたというのだ?それは、スポーツの試合の中断のようなものである。自分が部下の最適配置にベストを尽くしたなら、それでよいのだ。あとは部下を信頼し、自主性に賭けるべきだ。
極論を言えば、部下の仕事の内容を見る必要は全くない。その信頼関係こそが、各メンバーに最善を尽くさせる道だ。
缶詰作戦をしない
部下を始終監視して歩き回る人がいる。そんなことをして部下を邪魔するなんて、百害あって一利なしだ。
極論を言えば、どこか夏の別荘やシーズンオフのスキー場や海辺を借りて、部下を何日か送ってしまえばよい。ではどうやって成果を測るのか?簡単だ。持ち帰った成果でわかるではないか。
この方法は、実際に企業で行われているものである。
不服従をたたえる
多くの画期的な製品が、実は開発中止命令に逆らった結果であった。これをスカンクワークという。不服従を認めない、自己防衛的な管理者は望まれていない。自分たちの自主性を重んじ、結果の伴った不服従に寛容さを示す管理者を支持するのだ。
賭け
優秀な管理者は、イチかバチか、部下に全てを賭ける。実は管理し、方向を決め、決断しているのだが、それを悟られない。
ダメな管理者は、自己防衛的で、常に安全圏にいて、次のように言う。
「管理者である私はあなたたちとは別の階層だ。私は思考する階層にいて、あなたたちはそれを遂行するために雇われているに過ぎない」