解説
4章ではスプリントと、デイリースタンドアップの価値が、5章ではリズムの価値が語られる。
スプリントとは、プロジェクトを通じて長さが一定の「期間」である。1週間~3週間である。
- リズムを作るため、
- またヴェロシティの計測を測定するため
決してスプリントの期間を変えることは許されない。
デイリースタンドアップは、毎朝チームメンバー全員が、以下を宣言する15分のミーティングである。議論は避ける。
- 昨日やったこと
- 今日やること
- それらを妨げているものがあるか、そして何か
2章では、サザーランドのキャリアが空軍時代を皮切りに長々と語られる。あえて要約はしない。その中から最も重大なイベントを抽出するとすれば、
「ブルックスとの出会い」
であると思われる。
ロドニー・ブルックスは自律ロボットの研究者で、ルンバのirobot社の創設者である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/IRobot
ブルックスがサザーランドと出会った1986年当時、彼は蜘蛛型の自律ロボットを開発していた。それを見たサザーランドが、
「人間の組織も、この蜘蛛の足のように自律的に動かせないかな?」
というテーゼを思いついたのが「スクラム」の誕生のきっかけだったのだ。
空軍から統計学者へ、そしてソフトウェア開発責任者へと転身したサザーランド。学者出身の開発者は理想論的で、現実を認めず、頑固で使えないというイメージが、例えば「闘うプログラマー」などで語られている。
しかし、スクラムにおいては、サザーランドは理想論を押し通し、定着させる胆力と実務能力を兼ね備えた姿がこの章では描写されている。
この、理想論と現実との折り合いを付けるということができる人は、そうそういない。
FBIでは、情報共有の不備が同時多発テロを招いたという反省があり、それを起因にして、情報システムの刷新プロジェクトが発足した。
FBIの情報システムの刷新は何度も失敗した。
センティネルのガントチャートは全くの作り事で、事態は修復不可能だった。
要求項目は1100項目で、印刷すると10センチになった。ソフトウェアの価値の8割は、2割の機能で成り立っている。優先順位をつければ200項目で済むはずだった。
ジェフはスクラムという武器を持って、2010年3月に2012年7月に開発の立て直しに着手した。開発人員は8割削減し、少数精鋭にした。そして、センティネルは動いた。
2013年1月、ある口座に不正侵入があった時も、システムはノータイムで情報連携し、送金先国の警察を動員し、送金を未然に防ぐことができた。それは、紙と赤ペンでは成しえなかった。
この章の目的は、「スクラムはいいものである」というイメージを読者に納得させることだと思う。この章であげられている、FBIのダメな点は、以下のようなものだ。
日本のIT現場のダメな点とそっくりではないか。
優れた管理者は、チーム内に化学反応を生み出し、それを維持することに全力を注ぐ。そのために、
を行う。
打ち上げが必要なのは、各メンバーが、自分たちが正しい方向に向かっていると確信する時間が定期的に必要だからだ。
開発チームは、バレーボールのチームと違って、全員が背が高い必要はない。職歴が異なる人間や、学生、元秘書、そして女性を加えることで、個性を認め合う雰囲気を醸成できる。とくに、一度でも男女混成のチームで働いたことがある人なら、二度と男だけのチームで働きたいと思わないはずだ。
裃を脱ぐとは、堅苦しさを捨て、打ち解けるということである。
部下の失敗のおかげで自分が失敗したことになるのはよくあることだ。だからどうしたというのだ?それは、スポーツの試合の中断のようなものである。自分が部下の最適配置にベストを尽くしたなら、それでよいのだ。あとは部下を信頼し、自主性に賭けるべきだ。
極論を言えば、部下の仕事の内容を見る必要は全くない。その信頼関係こそが、各メンバーに最善を尽くさせる道だ。
部下を始終監視して歩き回る人がいる。そんなことをして部下を邪魔するなんて、百害あって一利なしだ。
極論を言えば、どこか夏の別荘やシーズンオフのスキー場や海辺を借りて、部下を何日か送ってしまえばよい。ではどうやって成果を測るのか?簡単だ。持ち帰った成果でわかるではないか。
この方法は、実際に企業で行われているものである。
多くの画期的な製品が、実は開発中止命令に逆らった結果であった。これをスカンクワークという。不服従を認めない、自己防衛的な管理者は望まれていない。自分たちの自主性を重んじ、結果の伴った不服従に寛容さを示す管理者を支持するのだ。
優秀な管理者は、イチかバチか、部下に全てを賭ける。実は管理し、方向を決め、決断しているのだが、それを悟られない。
ダメな管理者は、自己防衛的で、常に安全圏にいて、次のように言う。
「管理者である私はあなたたちとは別の階層だ。私は思考する階層にいて、あなたたちはそれを遂行するために雇われているに過ぎない」
ある女性管理職が、新しいチームが結成される前の週に、みんなでディナーをしたいと誘う。
みんなが彼女の家に集まった。彼女は料理を準備する時間が無かったことを告白したが、みんな嫌な気はしなかった。手分けして買い出し、レシピの相談、調理、後片付けを行った。誰の指図もなく、チームは最初の結束を遂げたのだ。
このような話は、スパゲッティディナー以外にもたくさん見られる。生まれながらの管理者は、何が人を結束させるか直感的に知っている。
ちょっとしたパイロットプロジェクトが、チーム全体に、成功するくせをつけさせる。
最も重要なのは、「管理」がされていることを誰も気づかないことだ。
悲しいことに、組織は意図せずに、チームの結束を阻害する行動をとっている。
1960年代の初めから伝わるあるチームの物語がある。
はじめ、そのチームは少しテストが上手い人たちの集団に過ぎなかった。だが次第に、開発者と敵対する哲学がチームに育っていった。
彼らはサディスティックなテストを好むようになり、大の大人の開発者で泣き出すものさえ出始めたほどであった。彼らは悪魔とみられることを好み、黒い服を着た。長い口ひげを生やすものもあった。開発者は彼らの病的な偏執性に不満を漏らすようになった。
開発者は自分のコードにはバグはないと思っており、顧客はバグがあってもすぐにリリースされることを好むから、黒集団は誰にも見つけられないバグを次々に見つけ出した。そして、黒集団はテスト集団としてだけでなく、社会的組織としても成功をおさめた。
なぜなら、メンバーがまた一人また一人と会社を去って行って、ついにオリジナルメンバーの最後の一人がいなくなっても、黒集団に入ったものはエネルギーと独特の個性を持つ黒集団の一員となり、黒集団は存続していったからだ。
チームに挑戦が必要なのは、挑戦的な目標がチームを結束させるからである。
結束したチームでは、生産性・品質が高まるうえ、メンバーが仕事自体から喜びを得るようになる。
管理者の目標は、会社の目標とたいてい一致する。しかし、チームの目標は、会社の目標とは一致しない。
特に、上級管理者は、会社の最下層であるエンジニアチームと直接接する機会がないから、このことに気づかないことが多い。
結束したチームに対して、利益の増加で盛り上がった重役が、「利益10億ドルを計上・・・」「過去最高の第二4半期のために・・・」とでも言おうものなら、たちまちチームメンバーの注意は興味のない話題に気をそらされ、結束は雲散霧消してしまうのである。
個々の仕事自体は、各エンジニアが行う。実際、チームワークを必要とする仕事はほとんどない。
それにもかかわらず、ベクトルを合わせ、結束を起こさせるために、チーム編成が必要なのだ。
結束の強いチームには、以下の特徴がある。
つまり結束したチームとは自分たちだけ固まり、他のチームを見下した態度で、内輪受けする人たちである。これは、管理者が嫌うもの、派閥である。管理者は派閥が、集団で反旗を翻したり、集団で辞めてしまうことを恐れる。しかし、派閥こそが、真の目標、高い生産性と品質に対して大きな役割を果たすものなのである。
決定論的システム、要は様々な作業規定でがんじがらめになった組織では、自己修復能力が失われている。それは、予定外の事態に柔軟に対処し、ルールを柔軟に変更していく能力である。
作業規定に従うことは思考の放棄である。思考しない人がいい仕事を出来ないのは言うまでもない。
作業規定は組織の柔軟性を失わせ、人の思考能力を下げるだけではない。そもそも分厚い作業規定など誰も読まないのである。作業規定の理想はA41ページである。結局、技術者をバカだと思って信頼しないから、分厚い作業規定を作って安心しようとしているだけだ。
さらに、作業規定は責任感を失わせる。仕事が悪い方向に進むのは、作業規定が間違っているからだ。失敗することをうすうすわかっていながら知らないふりをして規定通りに作業をする人間がいる。これが「悪意の追従」である。
作業規定を作るのは最終手段であり、目的のみを共有し、以下のようなやり方で、ゆっくりと業務の最適化を促すべきだ。
デュポン社は、作業規定を次のように定義している。
社内で、繰り返し作業を実施してうまくいくことが証明され、広くデモンストレーションされている方法
目新しいだけで、やったことのないものを作業規定にするのは愚かだ。