§6 音楽の精神

アルキロコス(詩人・傭兵 紀元前680年頃 – 紀元前645年頃)は、民謡を文学に導入し、この業績によってギリシア人に広く認められ、ホメロスと並ぶ唯一の地位を与えられた。
旋律が民衆から素朴な評価をうけることは、重要なことであるし、優れた旋律は、さまざまな歌詞の付け方に耐えうる普遍性をそなえている。

そのため、民謡の歌詞においては、言語が音楽を模倣しようとしてきわめて強く緊張している。
この緊張のゆえに、ホメロス的世界とは相容れない新しい詩の世界が始まるのである。

類似の例として、ベートーヴェンの交響曲がある。
ベートーヴェンの交響曲をきくひとりびとりの聴衆は、形象によって曲の印象を語りたいという思いに駆られるのだが、楽曲自体はもっと多彩で支離滅裂である。
たとえばある交響曲を『田園』とよび、ある楽章を「小川のほとりの情景」、他の楽章を「農夫のたのしいつどい」と名づけても、それはやはり、単なる比喩にすぎず、音楽によって模倣された対象ではない。

 

ショーペンハウアーの哲学によれば、音楽は形象と概念との鏡に照らされて、意志として現象する。
抒情詩人はアポロ的天才として、音楽を意志という形象によって解釈する。

つまり、第一に、抒情詩は音楽の精神に依存しており、そして第二に、音楽自体はその完全な無制約性のゆえに形象や概念を必要とせず、むしろ形象や概念がかたわらにあることを我慢しているにすぎない。
だから、音楽の世界象徴法にたいしては、単なる比喩である言語では太刀打ちできず、いかなる抒情的雄弁の粋をもってしても、音楽の精神には、われわれは一歩たりとも近づくことができないのだ。

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