§3-1 法律と習慣に従うこと

要約

人が家の建て直し中に仮住まいを用意するように、私も哲学の基礎を確立するまでの間、自らの行動を決定するための道徳律を作った。

この格率の第一は、わが国の法律と習慣に従うことである。

遠い外国ではなく、自分が生活をともにしなければならないひとたちのなかで最も良識ある人々によって広く承認されている、最も穏健な意見に従って身を修めるのだ。
当時自分の意見は全て検討中で無視すべきものだったので、私は彼らの意見に従う事にした。

彼らの意見を真に知るためには、言葉よりも行動に注意すべきだ。多くのひとは自分自身の信条を言葉に出来ず、表明しないからだ。あることを信じる思惟の作用は、それを信じていることを認識する作用とは独立である。

さらに私は、同じような幾多の意見のなかでも、いちばん穏健なものだけを選んだ。穏健なものが最善で、極端なものは全て悪いという理由と、穏健な意見に従えば、間違った場合でも、真の道からそれることが少なくてすむからである。

私は少しでも自由を狭めるような約束はすべて極端の部類へ入れた。
この世にはいつまでも同一の状態に留まるものはひとつもなく、是認したことの善悪が反転したのに、単に約束のために善だと固執せざるを得ないのは、大罪だと考えた。

解説

余計な事には頭を使わない。「小事省事」である。

§2-4 4つの規則の発見

要約

もっと若かった頃私は

  • 論理学
  • 幾何学者の解析法
  • 代数学

を勉強したが、結局不満を持った。

論理学は、未知のことを知るのには無力で、既知のことをうまく説明するとか、知ったかぶりをすることしか出来ない。
古代人の解析法は、つねに図形の考察に限定されていて、悟性を鍛えるのに想像力を疲弊させる。
近代人の代数学は、法則と記号の嵐で人を困惑させ、精神を錬磨するのに失敗してしまう。
後者2つの数学は抽象的過ぎて何の役にも立たぬように見える。

私は、この三つの学問の長所を含みながら、それらの短所を免れる、代わりの方法を探求した。
私は論理学を構成している多数の準則の替りにつぎの四つの準則を持つだけで十分だと信じた。ただし、これらの規則を破らぬよう、堅い不変の決心が必要である。

  1. 明証性の尊重
  2. 問題の分割
  3. 単純性の尊重
  4. 網羅的列挙

第一は、私が明証的に真理であると認めるものでなければ、どんな事柄でもこれを真実として受け容れないこと。

第二は、私が検討しようとする難問を、必要に応じて、多数の小部分に分割すること。

第三は、最初は最も単純で認識しやすいものから始めるということ。
段階を追って最も複雑なものの認識に至り、秩序を仮定しながら、私の思考を秩序だって導いてゆくこと。

最後に、自分は何ひとつ見落さなかったと確信するほど完全な列挙と、広範な再検討を行うこと。

(第三の原理に対する補足をすると、)
何から始めるべきかは明らかであり、数学である。
なぜなら、今日までの真理を探求した全ての学者のうち、何らかの確実で明証的な証明を発見できたのは数学者だけであったからだ。

幾何学者は、極めて単純で、簡単なロジックの長い連鎖によってどんなに難しい証明にでも到達出来る。
これと同様に、人間が認識できる全ての事柄は繋がっているのだから、演繹するのに必要な順序を守りさえすれば、到達しえない事柄はあるはずがない、と私は考えた。

とはいえ、私は数学全てを学びはしなかった。数学の中で最も本質的なのは比例関係と線概念であったから、この2つを組み合わせて、比例関係を線として図示する方法を考案した。ただし、複数の比例を一緒に扱う場合は、短い代数的な記法を用いた。これにより、幾何学的解析と代数学の長所のみを活かし、短所を補いあう方法とした。

こうして、事実私は、幾何学的解析と代数学の領域にある全問題を2,3ヶ月で容易に解くことができた。
さらには、以前は知らなかった難問さえ、どんな方法によって、またどの程度に解決が可能であるかを決定することができると思われたほどであった。
(とはいえ、私は傲慢だと思われたくはない。ここに書いたことは、子供が算術をして、「総和」について全てのことを発見できるのと同じことである。)
秩序に従って自らの思考を導き(規則3)、途中で見つけた真理を定理として役立て(規則2)、また探求しつつある事物に関する全ての状況を正確に列挙する(規則4)方法は、算術の諸規則に確実性をあたえる全てのものを包含しているのだ。

私はこの方法によって、以下の点に満足を感じた。

  • 全ての事に、自分の理性をフル活用出来ているという確信を得たこと
  • 自分の精神が対象をより明証的に理解することに慣れてゆくのに気付きいたこと
  • この方法が少しもある特殊問題だけに従属しておらず、他の諸科学の難問題に対しても有効であること

しかし、それらの科学の諸原理を基礎付ける哲学のなかに、私はまだ何ひとつ確実な原理を見いだしていなかった。私は何よりもまず哲学において、それを打ち立てることに努力すべきであると考えた。
しかし同時に、当時私は二十三歳であったが、もっと円熟した年齢になるまえにこのようなことをやりとげようと企てたりすべきではないとも考えた。

私はまず全ての意見からの脱却を行い、多くの経験を積んで自分の推理の材料を集め、上記の思考の規則を絶えず練習することにより自分を強化した。
哲学の基礎を打ち立てるという目的にむかって自分を準備することに多くの時間を費さればならないと考えたからであった。

解説

デカルトはあらゆる知識からの脱却を試みたので、最後には論理学と数学だけが残った。それらから、「思考の規則」が抽出された。

§2-3 独学者

要約

(承前)では私自身はどうか?もし私がただ1人の師しか持たなかったとしたら、私は師の追従者で満足しただろう。
しかし、最後まで私は、この人の意見が最高だと思われるような人を選び出すことが出来なかったのだ。

なぜなら、私は多様な経験をしたおかげで、何か一つの意見に固執するということが無くなったからだ。習慣や実例によってのみ判断することや、1人の人間のある一時点の意見のみに賛成することは愚かなことである。

このことを私は以下のことから学んだ。

  1. 人間の想像力には限界があり、人間の想像出来るものはすでに誰かが思いついている。「その人にしかないアイディア」など無い。
  2. 旅行で出会った、我々と真逆の意見を持っている人々は、野蛮で未開であるどころか、我々と同様かそれ以上に、理性を働かせている。
  3. 生活環境の影響の大きさ。同じ精神を持つ同じ人間でも、育つ場所によって全く別の人間になる。
    1. ヨーロッパ人の間に生きるか
    2. 中国人の間に生きるか
    3. 大食い人種の間に生きるか
  4. 流行の儚さ。十年前や十年後の流行が現在ではいかに突飛で滑稽に見えるか。

結論として、私は自分で自分自身を導いていくしかないと思った。私は闇のなかを独り歩く人間のように極めてゆっくりと進み、全てのことに周到な注意を払ったので、ほんの少ししか前進しなかったが、転ばなかった。

私は、全ての意見からの脱却に先立って、自分の著作の草案を立て、「全ての事物の認識」に到達する真の方法を探求するため、十分の時間を費したのであった。

解説

デカルトの思考の柔軟さと視野の広さは、不思議なほどである。中国の老子の説く「聖人」は、全ての真理を相対的なものと知り、びくびくと怯えるかのように、また冬の川を渡るかのように何事にも慎重であるという。デカルトは老子の聖人像に近いのかもしれない。

§2-2 全ての意見からの脱却

要約

例えば、一私人がある国家を根底から転覆させることによって立て直そうとすることは、まことに不条理なことだ。こうしたことを企図する人間、その素性も資産も公務の管掌には不適格でありながら、つねに何か新しい改革を念頭におかずにはいられないような気質のひとたちを、私はどうしても我慢できない。

そうではなく、一私人が自分の家を必要に応じて建て直すのなら構わない。

街を綺麗にする目的で街じゅうの家を取り壊すような例は見受けられないが、自分の家を改築するためとか、倒壊の恐れや土台が十分しっかりしていないために、やむをえず取り壊すひとはたくさん見受けられる。

同じことを思想に置き換えて考えるならば、一私人が、学問の全ての体系や学校秩序を改革しようとすることも不条理である。

そうではなく、一私人が、自己の精神の土台を鍛えなおすために、その上に築きあげたものを取り壊すのなら構わない。それには、私はその時まで信頼して受け容れてきた全ての意見から脱却するのが、最上の策であると確信した。
将来、より優れた意見を受け容れるか、もしくは是正した元の意見を受け容れるためである。
もちろんこの場合にも私は種々の困難を認めはしたものの、この困難は解決可能であった。

これとは逆に公の大きな組織に関したことを改革する場合、それがほんのつまらない改革であっても、多大な困難に出会うことになる。
さらに、諸組織の間に多様性があることによって、多くの欠陥が明らかになる。通常組織の欠陥は人間の習慣の力で緩和されている。習慣の力によりなんとかやっていくほうが、変化に対する組織の抵抗よりも楽である。それはたとえば山々の間をうねうねまわっている街道が、できるだけまっすぐに行こうとして岩をよじのぼり、絶壁の底に降りるよりは、はるかによいのと同じだ。

全ての意見から脱却しようという決意は、多くの人にとっては適した模範ではない。
世間は、自信過剰で自らの思想を導く忍耐心を持ち合わせず、思想的には一生さまよい通すタイプの人間と、謙虚ではあるが、他人の意見に追従することで満足してしまうタイプの人間とで殆どが占められるようである。

こうしたタイプの人々は、全ての意見から脱却しても、思想を得る事は出来ない。

解説

人が自分の力で変えられるのは、まず自分である。デカルトはストイックにそれを実現した。

§2-1 統一性の原理

要約

1619年、三十年戦争に参加するために私はドイツを訪れた。
冬が始まって、私はある屯営に留められた。
そこでは気晴らしになるような話相手も、心を乱すような心配事や情念もなかったので、私は一日じゅうひとりで暖房に閉じこもって思索にふける余暇を持った。
最初に考えたことのひとつは、

「複数人によりなされた仕事は、
1人によってなされた仕事の完成度には及ばない」

ということであった。これは具体的には以下のように対比される。

1人の建築家が建てた建物 多数の建築家が協力して建てた建物
1人の技術家が自己の空想にまかせて引いた要塞都市 小さな城下町が段階的に発展して出来た大都会
唯一神が法令を出した真の宗教状態 半未開民族からゆっくり文明化して、
徐々に法令を作った民族
1人の人間が眼の前の事柄について下す
単純な推論
多くのことなった人々によって徐々に形成された学問
生まれてその時から自らを自らのみにより導いてきた理性 色々な欲望や教師によって、
相互に矛盾する忠告を与えられ続けた理性

 

解説

デカルトが学問を棄てた理由は、「自分自身という研究対象を、明証的に考察したいから」であると§1で語られたことを思い出さねばならない。

ここでもまた、自分一人で編み出した明証的な法則は、統一性の意味で学問にまさるとデカルトは説いているのである。

§1-4 世間への旅立ち

要約

学者の仲間に入るや否や、私は疑惑と誤謬に悩まされた。
勉学に励んだことは、自分の無知を発見した以外には、何の効果も無いように思われた。

私はヨーロッパで最も著名な学校のひとつで、教授の座が確定している同級生にも劣らない実力だと見られていた。
現世紀はこれまでのどんな世紀よりも優っており、卓越した精神の持ち主がそこにたくさん集まっていた。
このような恵まれた場所でさえ、勉学のみに励む理由は見いだせなかった。

むしろ、私は他の人々を自由に批判するようになり、私の期待に答えられる学説はこの世には無いのだと考える自由を得た。

私は文字の学問を放棄した。そして自分のなかに、あるいは世間という大きな書物のなかに発見されるかも知れない学問のみを求めて、青春の残りを次のように費やした。

  • 旅行
  • 宮廷や軍隊を見る
  • 各種の性格・身分のひとたちと交わる
  • いろいろの経験を積む
  • 機会を捉えて自分を鍛錬する
  • さまざまの事柄について反省を加え、何らかの利益を引きだす

自分に関した事柄についてする推理は、すぐ悪い結果によって誤りを知ることができる。だから、より多くの真理に出会うことが出来るのだ。

それに対して、文人が書斎でする何の結果も生まない思弁は、それらを真実らしく見せようとしてますます才智と技巧を浪費し、常識からあえて遠ざかることで虚栄心を満たす無益なもので、真理に出会うことが出来ない。
だが私は確信をもってこの人生を歩いて行くために、真と偽とを区別すること(良識を正しく適用する方法)を学びたいという切な願いをたえず抱いていたのである。

文字の学問にこだわっていた時は他人の考察をなぞるにすぎず、何も確信を抱かせるようなものを見いださなかった。
しかし、自分の目でたくさんの物を見てみると、視野が広がり、理性を邪魔する多くの誤謬からだんだん解放されていった。

このように数か年間を世間という本について研究し、経験をえるために費した後、わたしはある日、自分自身の研究に全力を傾けようと決心した。このことはどうやら非常にうまくはこんだが、それにはまず、自分の国、自分の書物を離れる決意が不可欠であった。

解説

言うまでもなく、歴史に名を残したのは教授になった友人ではなくデカルトのほうなのだが、ドロップアウトしたからには、きっと彼なりの苦労もあったのだろう。デカルトは非常にポジティブな筆致で書いてるため、そこら辺の真実はわからない。

§1-3 諸学問とそれらの放棄

要約

私は、子供の時から、「人生に有益な明白で確固とした知識の全て」を獲得するために、文字の諸学問に努めた。
まず、文字の諸学問には次のような美点があることを学んだ。

  • 語学〔ギリシャ語・ラテン語〕
    昔の本の理解に必要
  • 寓話
    面白く、精神を目覚めさせる
  • 歴史
    精神を向上させ、批判力を養成する
  • 良書
    過去の優れた人たちと会談し、思想の粋を学べる
  • 雄弁
    力と美
  • 詩歌
    雅致と情味
  • 数学
    好奇心を満足させ、あらゆる技術をやさしくする
  • 習俗
    多くの教訓と非常に有益な勧善思想 未知の習俗に対する公平な判断力を養う
  • 神学
    天国に至る道を教えてくれる
  • 哲学〔スコラ哲学〕
    もっともらしく語る術であり、人に自分を賞讃させる方法を学べる
  • 法学や医学やその他の科学
    名誉と富をもたらす

その正しい価値を認識し、それらに誤られないようにするために、これら全てを、迷信的で誤ったものさえ考究したのはよいことだった。

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§1-2 私の業績と方法

要約

私は凡庸な精神の持ち主であるにも関わらず、短い生涯のうちに、科学の真理の探求において非常に満足の行く成果を修めた。そして、科学者こそが、人間の最も重要な職業であると信じている。

それは、この「方法」によって私が自らの知識を増してきたからである。

しかし、私自身が間違っていることもありうる。
だから、まずこの序説では、自分がどういう道程をたどってきたかを示し、自分の生涯をあたかも一枚の絵に描くように再現して、それで各人がわたしのたどった道程について判断をくだせるようにしたい。
またこれに対する世人の意見をこの方法に取り入れ改善できれば最高である。

このように、私の目的は、単に私の努力の内容をお目にかけることである。
本来、ひとに掟を授けることにたずさわるものは、自分がそれを授けてやる相手よりも有能でなければならない。しかし、私の方法には従わないほうがいい部分もあるだろう。
読者は私のこの率直さに満足してくれるだろうと期待している次第である。

解説

デカルトは懐疑主義であり、自分の方法を開陳したいという気持ちと、自分の方法を疑う気持ちの間で揺れ動いている。

そのため、次章は、しばらくデカルトの人生の話が続くのである。

§1-1 理性と方法

要約

すべての人は「理性(良識)」を持っている。
理性とは、真偽を正しく判断する能力である。

人によって意見が違うのは、人によって理性が多かったり少なかったりするからではない。
考察している対象の事物が違うからである。
つまり、大切なのは理性を正しく適用することだ。

わたしは若い時から、わたしを種々な考察や心得に導いてくれた確かな道にぶつかる幸運に恵まれ、ひとつの方法を形成するに至った。

解説

理性自体が平等に分配されたもので、増減ができない以上、「方法」を変える必要があることを説いている。

§0 序説

要約

この本は、「理性を正しく導き、諸科学の真理を探求するための方法に関する序説」である。

この序説は六部にわけることができる。

  1. 第一部 諸科学の放棄
  2. 第二部 「方法」の法則
  3. 第三部 道徳の法則
  4. 第四部 霊魂の存在と神の存在の証明
  5. 第五部 心臓の運動の解明、人間の霊魂と獣類の霊魂の相違
  6. 第六部 自然の研究に必要な事柄と本書を書いた理由について

解説

デカルトはデカルト座標や物心二元論、機械的世界論、渦動宇宙論を生み出した哲学者である。
デカルトの仕事は、曖昧で直感的だった幾何学の世界や自然科学の世界に、法則を持ち込み、見通し良くすることであったと言える。

よって方法という言葉は、法則を発見し、世界の見通しを良くするための方法という意味で使われている。