「空間」、「時間」、「因果性」は、数多性を可能にする。
しかし、それらは意志の客観性の持つ数多性に過ぎない。
意志は数多性をもたず、ただ1つであるもの、そして、宇宙の全ての背後にあるものである。
なぜなら、宇宙の全ては表象であり、それは意志の客観化に過ぎないからである。
例えば、百万本の柏の木は、意志が空間的時間的に数多性をもって客観化したものに過ぎない。
それらは表象であり、意志の見地から見れば、全く意義を持たない。(“意志に触れていない”)
意志は「空間」、「時間」、「因果性」による制約を受けない、一にして全なるものである。
その意味では、意志を研究することは、一本の柏の木を成り立たせる力を研究することである。
何か一つのものの研究を、意志の現象の見地で極めることで、全宇宙を成り立たせている意志に対する理解もまた深まるはずである。
(第三部では、それが芸術の意義である、という風につながっていく。)