§19 自然界のあらゆる客観から表象性を取り去り、それでもなお残るもの

われわれにとっての自然界のあらゆる客観には、表象としての意味しか無いのであろうか。
もし、自然界のあらゆる客観から表象性を取り去り、それでもなお残るものがあるとすれば、それはわれわれが自らの身体について「意志」と呼ぶものと同一であるに違いない。

ここで、意志そのものと意志の現象を区別しておかなければいけない。

例えば、石を地面に落下させる力という客観から、表象性を取り去り残るものは意志そのものである。
しかし、「石が運動するのも、石が外界を認識し、動機を生じそれに従って起きるのだ」というのは馬鹿げた考えである。
認識や動機は意志の現象に属すものであり、意志そのものはもっと根源的な別のものなのだ。

ケプラーは第2法則(角運動量保存の法則)

πab = P(r^2)(dθ/dt)

a:短半径 b:長半径 P:周期 r:中心からの距離 dθ/dt:角速度

を発見した際に、このような美しい法則が成り立つからには、惑星に意識があり認識や動機があるからに違いないと推論したが、馬鹿げた考えである。

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