カントの物自体は表象ではない。しかし、 プラトンのイデア 原文検索 は表象である。このただ一点がカントとプラトンの理論の相違点である。
では、プラトンのイデアは他の表象とどう違うのだろうか?
根拠の原理に適合して現われる個々の事物は、意志の客観化であるが、これらは根拠の原理に従い、数多性を持ち生成・消滅するので、意志の間接的な客体性にすぎない。これに反して、イデアは数多性を持たず、生成・消滅も行わず、ただ存在する。つまり、直接的な客体性は、イデアのみなのである。
この、主観により認識されうる点を除いては、イデアは物自体と一致する。イデアは、最も適切な意志の客体性であるともいえる。
我々の認識は身体への刺激(知覚)から始まる。しかし、身体も個体性・数多性を持ち、生成消滅する間接的な客体性に過ぎない。だから経験も、間接的な客体性に限られるのである。身体は意志が客観化され意欲となったもの(“胃は客観された飢餓である”)であるから、この意味で認識は意志に奉仕している。
認識が意志への奉仕から解放されない限り、イデアを認識することは出来ない。
しかし、一部の人間のみには、その解放とイデアの認識が許されている。