光を認識することは、美を認識するのと同様の満足を与えてくれる。
その理由は、光の認識のみが、意欲の解消に直結しないからである。他の感覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚は快不快に直結する感覚であり、意志に汚されている。光の認識が純粋認識に最も近い。
ゆえに、イデアの認識や伝達を可能にしてくれる唯一の感覚器官が、光の認識なのである。このことは、どの宗教でも光は善(アフラマズダなど)、闇は悪(アーリマンなど)とされて来たことにも傍証されている。
また、水面に映った風景の美しさを思い出して欲しい。これも、光の認識が純粋認識に最も近いことから理解出来る。