§54-1 死の恐怖

意志は盲目的な生の衝動であり、無機物や植物の栄養作用、生殖として現象している。

個体は現れては消えて行くが、この生の衝動は不滅であり、いかなる時間をも知らない。意志にとって個体の死はどうでも良いことで、種族の保存だけが関心事である。個体の誕生と死は、種族にとっては毎日の栄養摂取と排泄に過ぎない。

こう考えると、自分や友人の死も慰められるし、自分の死体をミイラにして保存するなんて、排泄物を保存するくらい滑稽なことに思われて来るだろう。

意志は個体性を持たないことに加え、現在という時間形式のみを持つ。過去や未来は、生成や消滅を繰り返す世界のみにある。

だから、現在というものに満足し続ける人がいたとしたら、彼は自分の生を無限とみなし、死の恐怖を覚えないであろう。逆に、生の苦悩という現在に耐えられない人がいたとしたら、自殺をしても、苦しみを逃れられないだろう。

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