ショーペンハウアー哲学の特徴

ここでは、二択の質問を通して、ショーペンハウアーの思想の特徴を伝えたいと思います。

1. 唯物論か?唯心論か?

ショーペンハウアーの哲学は唯心論(“表象としての世界”)です。ただし、ショーペンハウアーは世界を”意志としての世界”であるとも解説します。
最終的に世界は唯一つの盲目な大いなる意志であると結論されます。

彼は唯物論が間違っていることの証明も試みています。
本質は「認識のパラドックス」を用いたものですが、面白い論理なので、頭をひねってみるのも悪くないでしょう。
(ちなみに現代の科学では反証できません。反証不可能なので科学でもないですが)

2. 極端か?中道か?

ショーペンハウアーの哲学は非常に極端です。

徹底した女性嫌いや厭世観にも彼の極端さが現れていると言えるでしょう。
反面、彼はこの素質によって、疑いようのない「真理」からの演繹により
誰よりも遠くまで到達し得たとも言えるでしょう。

ショーペンハウアーの極端さは、彼が非常に純粋な人であったことの
裏返しともとれます。
彼の断定口調や、女性蔑視、厭世観は彼に対する誤解と拒否反応を巻き起こしました。(子供っぽい極端な人が言葉尻を捉えられて世間に脚色され、弄ばれていくのは現代の日本でも同じですよね。)
しかし、その中には確かに深遠な価値が潜んでおり、
ショーペンハウアーの哲学は金鉱と同じだ、役に立たない石は無視して宝石のみを拾えばよい、とまで言う人もいます。
ショーペンハウアーの純粋さが、宝石のように人々を魅了して離さないわけです。

3. ポジティブか?ネガティブか?

語る内容によってどちらとも取れます。

世界の構造にまつわる哲学としては、非常に分かりやすく
混沌とした世界の構造を照らし出そうという心意気は、希望に満ち溢れたポジティブなものです。

反面、人間社会の本質や、 人生の意義については、
非常にネガティブなものと言えると思います。

4. 秩序を好んだか、混沌を好んだか?

ショーペンハウアーは、秩序を好みました。

彼によれば、概念とは明瞭に抽象化され、理性により固定化された「表象の表象」でした。彼は誤謬を憎み、その源泉たる「明瞭でない一切のもの」を憎んだのでした。

5. 絶対を好んだか、相対を好んだか?

ショーペンハウアーが目指したのは、「意志」という絶対的な存在によって世界を表現することでした。
ショーペンハウアーにとっては、科学法則でさえも総体的な概念による二義的なものに過ぎませんでした。一義的なものの発見、それが「意志としての世界」でした。
この後科学がどれほど進歩しようとも、彼の議論を反駁することは出来ないことでしょう。

6. 肉体的快楽と精神的快楽どちらを好んだか?

ショーペンハウアーが絶対的な価値を認めたのは、「芸術」と「倫理(宗教)」でした。
資産家でありながら、世界の貧困を目の当たりにしたショーペンハウアーが行き着いたのは精神的快楽でした。
「芸術」としては特に音楽を愛し、音楽の章(§52)の冒頭には「この章は音楽をかけながら読んで貰いたい」と書いてあるくらいです。
ショーペンハウアーの哲学の魅力はその人間臭さですが、こんなところにもそれが現れています。
「倫理(宗教)」についてはインド哲学と仏教に惹かれているようです。
心理学者のユングによれば、キリスト教に絶望し無神論者となったものが東洋思想を求めるのは必然だとされますが、ショーペンハウアーの主著(意志と表象としての世界)を読めば、その背景にある特異で美しい人生観がわかります。
ショーペンハウアーは「人としてどう生きるべきか」を考え抜いたあげく、インド哲学や仏教と同じ結論(「意志の寂滅」)にたどり着いたのだと私は思います。

精神的快楽の重要性については、ショーペンハウアーの「幸福論」にも人生の幸福を決める鍵となる要素として解説されています。

7. 結局、何を求めたのか?

ショーペンハウアーが真に求めたもの、それは人としての理想的な生き方とは何か、です。主著に「世界は生きるに値するものなのか」という疑問が登場します。苦しみに満ちた世界で人間が生きる意味はなんなのか。苦しみはなぜこの世界の本質なのか。なぜ人間は苦しみを生み出すのか。人間はなぜ生きなければいけないのか。どうやって生きていくべきなのか。

ショーペンハウアーが出した結論は、

 

「自らの中に現象する意志の存在に気づき、それを肯定するか否定するか選択せよ」

 

ということでしたが、この真の意味を知るには主著『意志と表象としての世界』を読むしかないのかもしれません。

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