読書はつぎはぎの思想を生じさせ、精神をさらに混乱させる。詰め込み過ぎの精神は洞察力を全て奪われている。
これは、一般に思慮深いと思われている学者達が、実は常識や正しい判断力を一切備えていないことからも、明らかだろう。
思想家が大量の知識を有機的に結合できるのは、パイプオルガンの基礎低音のように、膨大な知識を通奏する壮大な洞察力があるからだ。この洞察力は、膨大な知識を消化し、自らに同化し、自分の思想を益々強大にしていく。
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読書はつぎはぎの思想を生じさせ、精神をさらに混乱させる。詰め込み過ぎの精神は洞察力を全て奪われている。
これは、一般に思慮深いと思われている学者達が、実は常識や正しい判断力を一切備えていないことからも、明らかだろう。
思想家が大量の知識を有機的に結合できるのは、パイプオルガンの基礎低音のように、膨大な知識を通奏する壮大な洞察力があるからだ。この洞察力は、膨大な知識を消化し、自らに同化し、自分の思想を益々強大にしていく。
ただ思索の湧出が途絶えた場合だけが、読書をして良い場合である。自ら思索を放棄して読書に向かう者は、植物図鑑を眺めるために、広々とした自然から逃亡する愚か者のようだ。
自分で考えたと思っていた同じ結論が、本にすでに書いてあったらどうする?という反論もあるだろう。しかし、本に書いてあることを我々が真に理解することは出来ない。自分の思索で獲得した真理の価値は、書中の真理の価値に100倍も勝るのだ。その価値は、
である。
例えば、思索するものは、他人の権威ある説を自説の検証に使うに過ぎない。ところが、凡人は、他人の権威ある説を組み合わせて体系を作るのだ。
自分で考え抜いた真理は、自分の精神によって身篭られ、産み落とされ、一個の生命を得る。他人の寄せ集めで出来た継ぎはぎの真理は、決して生命を得ることはない。
思索から得た知識にしか、真の生命は宿らない。
なぜなら、我々が真に理解できるものは、自分の思想のみだからだ。
いくら綺麗に見えても、他人の思想は古びた押し花のようなものだ。それに対し、自分の思想は花盛りの春の花のようなものである。
頭脳には、思索向きの頭脳と、読書向きの頭脳がある。
読書は、いつでも誰にでも、紋切り型の思想を押し付ける。精神は圧迫され、弾力性を失う。彼らが本を書いたとしても、その著作はつまらない。彼らは、「永遠に読まれざるため、永遠の読書を続けている」。
思索は、自由な精神が、気分とその場の材料で、既成の思想を押し付けられずに行うものである。
自分の思想を所有したくなければ、暇を見つけ次第、本を手にすることだ。
知識のうち価値あるものは、思索によって得た知識だけである。
思索によって知識を得ることは、読書や学習によるそれとは決定的に異なる。何か一つのものを本当に「知る」には、思索を通して、自分の中のあらゆる知識と比較検討し、結合させる必要があるからで、読書や学習では「本当に知る」ことは出来ない。
読書は誰にでも出来ることだが、思索、とくに客観的な真理についての思索は、天才以外には不可能である。
親の遺産を受け継いだ人間は幸福である。
出典:
解説:
ショーペンハウアーの身も蓋もない名言。現代日本では『仕事を好きになる』とか『仕事で自己実現』という耳当たりの良い言葉で現実的な落としどころが模索されるが、金持ちであるショーペンハウアーはこれを一刀両断するのである。
The world is a set of representation.
Representation is what we can recognize in any way.
This is because we always recognize something when we see the world.
これまでの幸せを数えたら、あなたはすぐ幸せになれる。
出典:
解説:
この言葉を理解するには、ショーペンハウアー思想の「永遠の現在」という概念について解説が必要である。
意志は認識を欠いていて盲目なので、過去や未来の存在に気づかない。いや、本来意志としての世界には、過去や未来自体が存在しないとショーペンハウアーは説く。これが「永遠」と呼ばれる考え方である。プラトンの言葉を借り、
時間は永遠の彫像である
とも表現される。
ロジックは割愛するが、「永遠の現在」は、 休むことのない死 原文検索 であり、永遠の苦痛である。幸福とは、その苦痛を認識の力でごまかしているに過ぎないんだよというのが実はこの句のテーマである。
本当は”過去”など存在しないのに、認識は過去を美化して「マーヤーのヴェール」となり我々を欺く。過去の幻像から現在に眼を転じれば、やはり苦痛であることに何の変わりも無い。
だから、実は幸せとはその程度のことで、幻なのですよ、というのがショーペンハウアーの言いたかったことなのだ。
男の性欲がなくなれば全ての女から美は消え去るであろう。
出典:
ショーペンハウアーは、母親(ヨハンナ・ショーペンハウアー)との反目も手伝って女性に手厳しいが、単に批判をしているのではなく、女性の本質を見抜いた記述の評価は高い。しかしこれは少々弁護のしようの無い悪口と捉えられても仕方ないかも知れない。
もしかしたらショーペンハウアーからは本当に性欲が消え去っていて、純真に上記のようなことを疑問に思ったのかも知れない。結局は、謎である。
男同士は無関心に過ぎないが、女同士は生まれながらにして敵同士である。
出典:
ショーペンハウアーの考えでは、一夫一妻制は女性を不幸にする制度であった。それは、一夫多妻制の時代に比べ、男性が慎重に女性を選ぶようになったことで、「あぶれる」不幸な女性が増えたから、であると言う。彼は結局結婚しなかった。