自分が自分自身について知っていることは意外に幸福には重要ではない。他人が自分について知っていることこそが恐ろしい。
良心の非難に耐えるのは容易で、世間の悪評を防ぐのこそが難しいからだ。
自分が自分自身について知っていることは意外に幸福には重要ではない。他人が自分について知っていることこそが恐ろしい。
良心の非難に耐えるのは容易で、世間の悪評を防ぐのこそが難しいからだ。
自らの良心の非難よりも、社会の非難こそが最も恐ろしい。
尊敬する人の冷たい眼差し、引きつった口元。孤立は、我々の中の群れの本能を脅かす。
高貴さとは、情熱を持つことである。この情熱は打算的な理性を眠らせてしまう。それで、ありきたりの人々にとっては、高貴な人がわざわざ損をして、くだらないものに熱中しているように思われる。
低俗な人々は、ひたすら自分の利益だけを見つめて、それを理性的だと思っている。高貴な人々は、非理性的である。高貴な人々は、危険も死もいとわない。高貴な人々を動かすのは頭脳ではなく、心臓であり、情熱である。高貴な人間は、理性を蔑んでさえいる。
低俗な人々にとって高貴な人々は風変わりで理解不能な存在である。高貴な人々も人間社会の愚劣さと支離滅裂さを糾弾する。これが高貴な人々の悪癖である。