苦境には肉体の苦境と魂の苦境がある。
- 肉体の苦境について
現代の人間にはこの経験が不足しているが、人類の歴史の大半を占める恐怖の時代では、個人が肉体の苦境から自分のみを守らなければならなかった。彼らは自らを鍛え、他人に好んで苦痛を与える残忍さを身につけ、自分自身の安全さに悦楽を覚えた。 - 魂の苦境について
現代の人間は魂の深刻な苦痛を自らの経験によって知らないし、心の底では信じていないとさえ言える。
結局、どちらの観点からしても、現代では魂と体の苦境に苦しむ人間を見ることはあまり無いと言える。
この結果、苦境に対する潔癖性が生まれ、現代においてはほんの少しの苦痛でさえ憎悪されるようになった。苦痛の存在は考えるのさえもいけないことで、良心の問題として非難を浴びせかけるのだ。生存が快適になったことで、今度は蚊に刺された程度の苦痛を、人生の価値の否定に仕立て上げてしまう。厭世主義的な哲学への処方箋は、本物の苦境を味わうことしか無い。
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