§57 現実主義者

冷徹な人々は、情熱や感情を否定し、現実主義者を自任しているが、実は彼らも情熱や感情の虜なのである。

なぜなら、この世のあらゆる「現実」に色付けを与えるのは、情熱や感情だからであり、これらの陶酔無くしては現実など感じられないものになるからである。そして彼らもその現実を愛しているのだ。

§47 情熱の抑圧

情熱の「表現」を粗野で野蛮と見なして抑圧すると、遂には社会から情熱そのものが失われてしまう。ルイ14世の宮廷でそれは起こった。

我々の時代は今やその対照である。実生活でも芝居でも文学でも、情熱の粗野な爆発への喜びが見いだされる。我々とその子孫はやがてこうした情熱の「表現」だけでなく、本物の情熱を手に入れるだろう。

§4 種を維持するもの

人類を進歩させるのは悪の衝動である。進歩とは古いものを破壊することだからだ。

善人なる人々は、破壊せず、古代の思想の蓄積を掘り下げ、うまく知識を取り出して生きる。さながら精神の農夫である。しかしいつかはどんな土地も枯れ果てる

悪人はそこに鋤を持って現れ、保守的なもの、境界石となるものをすべて取り除く。とりわけ信仰心を傷つけ、整然と秩序付けられた社会を破壊する。

悪人こそが新たな道徳や宗教をもたらし、眠り込んでいる情熱に火をつけるのだ。

§3 高貴と低俗

高貴さとは、情熱を持つことである。この情熱は打算的な理性を眠らせてしまう。それで、ありきたりの人々にとっては、高貴な人がわざわざ損をして、くだらないものに熱中しているように思われる。

低俗な人々は、ひたすら自分の利益だけを見つめて、それを理性的だと思っている。高貴な人々は、非理性的である。高貴な人々は、危険も死もいとわない。高貴な人々を動かすのは頭脳ではなく、心臓であり、情熱である。高貴な人間は、理性を蔑んでさえいる。

低俗な人々にとって高貴な人々は風変わりで理解不能な存在である。高貴な人々も人間社会の愚劣さと支離滅裂さを糾弾する。これが高貴な人々の悪癖である。