序文 ~善悪の彼岸~

善悪の彼岸』はニーチェ第7の著書。1886年に出版された。この記事はその序文の要約である

真理は女のようなものではないか?

独断的で独りよがりな哲学者にとって手が届かないという意味では。

独断的な哲学は、高尚なふりをした子供騙しか、素人の遊びに過ぎない。独断的な哲学とは、迷信や、あまりに個人的で人間的で狭い事実の無謀な一般化に依存した哲学のことである。アジアのヴェーダンタ哲学も、プラトンの哲学も、結局は独断的な哲学だったのだ。

プラトンが生み出した、純粋精神と善ほど最悪なものは無い。さらに、この考え方が通俗化されたものが、キリスト教道徳だった。これらの害悪との闘いが、ヨーロッパに、かつてない精神的なパワーの蓄積をもたらしたのだ。この弓の緊張を邪魔しようとして、イエズス会による介入と、出版と新聞による民主的啓蒙が行われた(新聞の発明こそはドイツ人の黒歴史と言える失敗であろう)。

しかし我々はイエズス会士でもないし民主主義者でもない。我々には力が残されており、狙うべき標的ももっているのだ!

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