【西瓜糖の日々】リチャード・ブローティガン【126冊目】

1964年に発表されヒッピーブームを作り上げた小説。
iDEATH(自我の死)と呼ばれるコミューンでの平和な生活の話。
アイデスの人々は西瓜を育てて、その果汁を煮詰めて西瓜糖を作ります。アイデスではコンクリートもガラスも全て西瓜糖で作られています。川が流れ鱒が泳ぐ。夜になると無数のランタンが灯りパートナー同士が静かに愛し合う平和な世界です。
でもなぜか住民は本を燃やして燃料にしています。

アイデスの外には<忘れられた世界>があり、旧世界の異物を採掘可能になっています。
でもアイデスの人間は無知なので、そこで本を発掘しても燃料にしてしまうのです。
しかし、主人公の恋人のように少数の人々だけが旧世界の秘密を次第に理解し、アイデスの存在に疑問を抱くようになります。

昔はアイデスにも<言葉を喋る虎>がいて、人に死を与えていました。
しかし、アイデスの人々は食べられるのが嫌で6匹いた虎を全員殺してしまいます。
そのため、アイデスでは無気力で無目的な集団生活が永遠に続いています。
自我を無くしたまま淡々と生きながらえる生活は、死んでいるのと変わりません。

なので、アイデスから抜け出す方法は自殺する以外にありません。
そこで、主人公の友達の親戚と、主人公の恋人たちは集団自殺してしまいます。
しかしアイデスの人々は彼らがいなくなったことになんの感情も感じず、淡々とその後も生き続けるというお話です。

私はアイデスから脱出した人々の方に共感を覚えました。

ブローティガンは本書を書いた20年後に拳銃自殺してしまいました。

トランジション(ブリッジズ)【125冊目】

あと半年で35歳になる

人は10年に一度生きる目的を変えるらしい。

15歳の時には素粒子物理学者になりたかった。
25歳の時には仕事が出来る大人に憧れた。
35歳の今思うのは人に思考を汚されたくないということだ。

社会には、気付かないうちに入り込んでくる洗脳が存在する。それを学んだ。大人の方々からすればようやく気づいたかとご笑覧されることと思うが、今年それに気づいたように思う。努力主義や能力主義も社会による洗脳の一種に過ぎない。

例えば15歳の時、努力は正しいことだと考えていた。
しかしそれはなぜ正しいのだろうか。
今なら知っている。世の中は天分により努力せず成功した人間にあふれており、客観的な成功と主観的な幸福さえも関係ないことを。

例えば25歳の時、能力の高みを目指すという世界観に疑問を持っていなかった。
しかしいつそれを正しいと刷り込まれたのだろうか。
今なら知っている。人間の能力は一生上がり続けることはないし、能力が下がりだしたからと言って人間の価値が減ずるわけではないことを。
今ならわかる。能力の衰えを見せ始めた自らの老齢期に、ギプスを嵌められ筋力トレーニングを強制する思想があったとしたらそれがどんなに滑稽で醜悪かを。

ある人が、35歳になると能力は動機付けの原動力として働かなくなると言った。それまでは人間の自己への関心はhowに集約される。例えば”マズローの自己実現の理論”は結局どのように=how生きれば自己実現できるかの理論だ。35歳以降は自分とは何か=自己の限界は何か=自己はなぜそれを好きなのかというwhyへの転換が起こる。

このhowからwhyへの転換が、ミドルエイジクライシスの原因とされる。
今まではhowに注力して伸ばしてきた能力は、whyを問う時には役に立たない可能性もある。その時に、人は絶望するという。

この”さばきの”時に、好きなことだけをしてきた人間はクライシスに陥らないとされる。というのは、howを伸ばしてきた理由と、whyのギャップが小さいからだ。
しかしながら、キャリアアップ幻想に囚われ、マズローの自己実現の理論などを信じこんでしまい(私は人生で一度も信じたことがないのだが。マズローは西成のホームレスに謝るべきだろう)、高みに向かってひたすら能力を上げることに注力していると、能力や年収が落ちてきた時に、whyへの問いに囚われるという。

こんなに年収をあげてきたのに、なぜ感謝されないのか。
こんなに年収をあげてきたのに、なぜ貯金がないのか。
こんなに貯金があるのに、何に使えばいいのか。
こんなに能力が高いのに、なぜ尊敬されないのか。
こんなに能力が高いのに、なぜ何も成し遂げられなかったのか。
能力や貯金に意味がないとしたら、自分は35年をすっかり無駄にしてしまったのではないのか。

そのように気づいてしまったとき、人はクライシスに陥り、多大な精神的ダメージを被るらしい。

人の能力は35歳まではおそらく上がり続ける。プログラマ35歳定年説などはここからきたのではないか。しかしそれが若者を愚かにしている。若者は、能力の無意義に気づくまで、クライシスが自分に降りかかることにも気づくことができない。

クライシスを避けるには、howとwhyのギャップをひたすら小さくすることしかない。ここで冒頭に戻るが、社会には洗脳してくる価値観が多くある。努力しろ。モテろ。羨望を浴びろ。蓄財しろ。利他行為をしろ。信仰を持て。政治に関与しろ。公共の利益に貢献しろ。

しかしもし自分を捨て、その洗脳の快楽に身を委ねてしまえば、35歳を迎えた時に、クライシスがやってきて、人は絶望するという。

人生には、「本当の終わり」がいくつもある。終わりとは、取り返しがつかない、二度と元に戻れないことである。本当の終わりを経験するたびにhowを捨てwhyへ向かうことが、30代以降70代に至るまでの人間の成熟である、という心理学の本だ。

ドリアン・グレイの肖像(オスカーワイルド)121冊目

概要

美少年ドリアン・グレイは歳を取らず、代わりに肖像画が歳をとって行く。

ドリアン・グレイが罪を犯すたび、肖像画の表情は醜く悪辣に歪んでいき・・・

新訳 道は開ける(デール カーネギー)118冊目

概要

どうやって不安に対処するかの指南書。

実名を出した、数々の実在の人物のエピソードによって語る稀有な本。

【書評】ニーチェ 自由を求めた生涯(ミシェル・オンフレ+マクシミリアン・ル・ロワ)【110冊目】

概要

ニーチェの伝記漫画

エゴンシーレみたいな絵柄。完成度・納得度高い。

細かいが、この本はニーチェは梅毒で死んだというアプローチ。

【書評】野村證券第2事業法人部(横尾宣政)【108冊目】

概要

オリンパス粉飾決算事件ですべての罪を押し付けられた人が冤罪を主張する本

めちゃくちゃ面白い。

野村証券もオリンパスも群栄も怖すぎだ。社会で働くこと自体が恐ろしくなってしまう。

冤罪をいくら主張し、検察や証人の主張の矛盾をいくら喚きたてたところで、起訴有罪率99.9%の日本では役に立つはずもない。檻の中で、著者はこう思う。

野村証券も検察も同じなんだ。

客に損をさせる商品を売らなければいけない野村證券の営業マン。

冤罪かもしれない容疑者に自白させなければいけない検察官。

どちらもブラック企業なんだ。

著者はどちらかといえば「嫌な奴」で、人の上に立つ器で無かったから野村證券にもオリンパスにも裏切られたのだ、という見方もあるようだし、当然あっていいだろう。

だが、だからといってこんなに面白い本を全否定して得られるべきものを得ないのはもったいない。この本が途中で嫌になったら、最終章11章だけでも読んでみてほしい。特に上記のシーンは必見だ。

【書評】料理人(ハリー・クレッシング)【80冊目】

概要

料理人が貴族の家を乗っ取る話。

作者のハリー・クレッシングは誰かの変名らしく、この本の作者がだれなのかはわかっていないという。

奇跡的な料理の能力、頭脳と腕力、美、魅力、人脈全てを備えた出自不明の主人公コンラッドがコックとして雇われてから、ヒル家の様子は次第に変わっていく。最初は朝食のパンがマフィンに変わった程度だった。しかし、次第に・・・。

この小説の主人公は飢えた黒鷲のようだと形容されるが、最後の最後の1ページでその正体を現す。これを読んだ人は、コンラッドは悪魔だと思わざるを得ないだろう。