概要
どうやって不安に対処するかの指南書。
実名を出した、数々の実在の人物のエピソードによって語る稀有な本。
いっぷう変わった本のオススメ(9冊達成!)
悪を哲学的に解明する。
フロムは「自由からの逃走」の著者。加藤諦三氏の本の参考文献となっていたので読んだ。
悪は次の3つから生じるという。
ナルシシズムについては納得できるが、ネクロフィリアについては納得できない。
ネクロフィリアは死に憧れる傾向で、誤解を恐れずに言えば「根暗」に近いような描写のされ方である。例えば、「明日学校爆発しないかなー」とか、「戦争/災害が起きてすべてリセットされないかなー」とか、そのような性向のことだ。
そんなにたくさんの人がネクロフィリアなのだろうか。
近親相姦というのは、エディプス・コンプレックス的な話だった。母に甘えたいとか、母体に戻りたいとかいう、全ての人の根底にある甘えのことだ。
だから、この3つによる初期の症状は退行であり、末期の症状が悪だということになる。
詐欺の帝王がジャーナリストに懺悔した内容。
帝王がどのくらい帝王かと言うと、ピークには週に9000万円が彼の懐に入っていた。一度、恋人のキャバ嬢を1位にするために、一晩に4000万円を使ったらしいが、痛くも痒くもなかったという。
彼の財源は
など100通り以上にも及ぶ。
どうやって帝王は上り詰めたのか。
帝王は大学進学に伴い上京したが、1年生の時にはすでにイベサーを掌握していた。土曜日のベルファーレを6時間120万円で借り切り、スーパーフリーに250万円で売るといったことをやっていた。
当時帝王の上にいたSTという人間は暴力団の子息を顎で使い、のちにマッキンゼーに入社した非常に頭の切れる人間だったという。
大学を1単位以外全て「優」で卒業。卒論は「イノベーション」について。大学卒業後は大手広告代理店に入社するが、5年で左遷されそれを不満に退社。スーパーフリー事件との関与を会社に疑われたからだ。
その後、闇金に参入し、システム詐欺に手を広げた。2002年に闇金を始めてから2年後には、オレオレ詐欺を創始したという。
2008年にはタンス預金が何百億もあった。1億円でミカン箱一つ分だが、それが何百箱もあったのだという。襲撃事件もたびたびあったし、税務署にも襲撃された。
そこで、帝王は海外に資金を対比させることを考えた。ドバイに遊びに行ったときにイラクディナールを日本に持ち帰り、両替できないことに落胆したが、転んでもただは起きぬ帝王、イラクディナール詐欺を思いついたのだという。
海外に資産は分散した。仲間はどんどん逮捕された。帝王も、逮捕で資金を没収されたくないから、自ら引退を決意した。しかし後には、自由に引き出せない巨額の口座のみが残った。
システム詐欺とは、1人の個人を複数の店が囲い込み、次から次へと「かぶせ」詐欺を行う、組織的劇場型詐欺である。
例えば自転車操業になって、ある闇金に元金が返済できなかったとする。しかし、グループ全体でみれば、本当にその人に貸した元金は最初の100万程度であり、グループ全体で得た金利や詐欺額からすれば無視できる範囲である。と言う仕組みである。
幸せはお金じゃない。結婚でもない。48歳フリーターカップルの歩んだ歴史。
久々に感動してしまった。
二人の人生が、バブル崩壊・リーマンショック・東日本大震災という節目で語られ、どうやって低所得(月収10~15万円)のまま必死に切り抜けてきたかが語られる。
この二人が絶対的にいい人だというわけじゃない。でもこんな生き方は全然アリだし、何より芯が通っている生き方に思える。
マリエがヨシオに惚れるのはわかる。ヨシオの生きざまはカッコいいのだ。実際、MBAエリートの竜太郎をはじめいろんな人に一目置かれているようだ。
最後にヨシオがフレデリックを引用するので、「確信犯のヒモかよ!」と突っ込みたくなるが、冷静に考えれば、ヨシオがマリエに金品を要求した描写は一回もない。矜持を持って生きているのだ。フレデリックとして生きるには、人並みではない覚悟が必要なのだ。
この人しか出来ない生き方に、感動させられた。
働きたくない。家族も欲しくない。を実践した人の人生哲学。
お金を使う機会や趣味が無い。とても辛い労働や人間関係を耐えて、お金を稼ぐ価値があるとは思えない。そんな時でも、最低限のお金は必要になってしまうから、やっぱり働かざるを得ない。
でももし、人が本当にニートになって、山奥の古民家に引き籠ってしまったらどうなるんだろうか?
これはそれを実践した「pha」さんの人生哲学の本だ。
価値観は思いのほかシンプルで、上記以外何もない。以下の問題は解決しないままだが、それでいいと割り切ってるみたいだ。
嫌いな人とは距離を置いたり、自分で主催することに気を付ければ、居場所は作れるという。会社も家族も人間にとっては「居場所」の一つだったりする。
この人は、そうした居場所から、いろんなものをもらったり、楽しみを享受したりしている。とても楽しそうだ。
この本に書かれているのは自己満足的な考えで、自分の楽しみを追った一つの最終形態かもしれない。人によってはこれでいいし、上記のようなリスクも減らす努力の余地がありそうだ。
でも、これを読むと、レヴィナスを思い出してしまう。
レヴィナスは人間は世界から享受するエゴイズムを脱して、子供を作るか、社会貢献しなければ人生には意味がないと考えた人だ。
著者は家族は欲しくないと言っている。では、この本を出したり、共同生活をすることが、社会貢献なのだろうか?
この本は言葉を悪く言えば、究極のエゴイズムだ。かといって私にはレヴィナスの哲学は完全には理解できない。今夜もまた、結論が出ずに繰り返し考えることになりそうだ。
ストーカー加害者の心の中を、本人の口から語らせる。
「私から、逃げてください・・・」
タイトルからしてやばい。
本書は、テレビ番組の製作者(ディレクター)が、ストーカーのカウンセラーに本物のストーカーを紹介してもらい、インタビューした本だ。
物凄く恐ろしい内容で、30ページに一回は本を閉じてしまっていた。通読するのにかなり時間がかかった。
「本当に、ストーカーは頭が狂っていたのか。」
これが、この本を読んで感じた正直な感想だ。
この本のいいところは、取材者が、本当にしつこく、加害者たちの論理の飛躍を問い詰めるところだ。加害者たちはしつこく追及されることを苦にせず、実に論理立てて、どういうロジックでその考えに至ったのかを詳細に説明してくれる。だから、我々も、その考えに至る「必然性」がなんとなくわかってしまう。この体験は、ある意味狂気の世界に我々の側から一歩近づいてしまうことを意味する。
だから読んでいて、自分の頭までおかしくなってしまうような気持に駆られる。焦燥する。だからショックを受けて、本を閉じてしまう。
この本、あまり売れてないようだが、類書は無く、マストリードであることは間違いない。
なぜなら、経済の悪化と、都会人の孤立化によって、ストーカー加害者は今後数十年増え続けるのだから。
スクールカーストを題材にした小説。
結構面白い。
だが、リアルにスクールカーストの世界を楽しみたいのに、無理やり明るくしたいのか、「それは起こりえないだろ」という偶然の繋がりや病気の設定が結構冷めさせてくれて、何とも言えない。
リアルさが徹底された「何者」が、やっぱり傑作だと思う。
日本最貧困のセックスワーカーたちにインタビューした本。
作者の問題意識は、最貧困女子がいわれのない誤解と迫害を受けていることである。世論からも、福祉からも、警察からも、買春男からも、同業者からも、彼女たちは迫害されている。
彼女たちは、親に捨てられ、性的暴力を加えられ、知的障害を抱えている。子供を抱えていて身動きもとれないが、誰も助けてくれない絶対的な孤独の中にいる。
著者は闇金融の社員などから彼女たちにアプローチしていき、「可視化」をすることに成功した。
著者は「どうしていいのかわからない」ということを認めているが、確かにどうすることもできない。このまま、何十年という時間が経っていくのか。いや、この本が注目されることに成功したからには、何かが変わる一歩が踏み出されたはずだと思う。
発展途上国の飢えが人災、具体的には軍政の腐敗と投機市場の暴力によるものであることを喝破する。
「好き嫌いをいうなら、アフリカの飢えている子供達にあやまりなさい」
そう言って子供を叱る親は罪深い。飢えという問題の本質を理解せず、間違った情報を利用して、未来を担うべき子供に教育しているのだから。そして、自分の間違いに薄々気付きつつ、躾がしやすいからという身勝手な理由で、それを悪用しているのだから。
子供に飢えの本当の理由を理解させようというジグレール教授の試みは、画期的である。
飢えの原因が、軍政と先進国である資本主義諸国の市場操作であることを認識していれば、アフリカに物資を補給しても、殆どは軍に略奪され、大衆に行き渡らないのがわかる。また、食料を輸入する際に、市場が変動すれば、小麦の量がレートに反比例することがわかる。誰かが儲けるために誰かが餓死するという、死のトレードが毎日公然と行われているのが資本主義社会だとジグレール教授は言う。
無責任な大人にならないために、この本を読んでおきたい。