【書評】毛沢東の私生活(リチスイ)【107冊目】

概要

毛沢東の死を看取り、死体の永久保存を施した主治医が22年間にわたる毛沢東との人生を暴露する。

著者は本書発売の3カ月後、遺体となって発見された。

ニセモノと思うにはリアル過ぎる。

毛沢東は確かに超人的な悪人だが、横暴で好色で不眠におびえる一人間でもあったということがよくわかる。江青や華国峰の人柄も興味深い。

また、本書は教養高い中国人が書いているために、情報の質が極めて良い。例えば、

  • 毛沢東は自分を「傘をさす和尚」と自称していたが、実はこれは「無髪無天」と同じピンインの「無法無天」という意味である。その意味は、

    「自分こそ法であり、神である」

    という意味だった。外人記者は完全にこれを文字通りに受け止め、毛沢東の孤独感として報道してしまったのだった。

  • 毛沢東が理想の君主としていたのは紂王だった。(封神演義でおなじみ、酒池肉林などで有名)

このように、毛沢東を理解するうえで、中国語や中国古典を知らないとわからないことが多いのである。

面白い。

【書評】黄金色の祈り(西澤保彦)【106冊目】

概要

若さのイタサ。最悪の後味

ミステリに見せかけた自叙伝・自白なのでは?と思うほど心理描写がリアル。誰もが体験したことのある、自分のイタサ、自意識過剰、黒歴史、自分から見える自分と他人から見た自分のギャップ・・・が再生され、心理ダメージが半端ない。

これほどの後味の悪い小説はなかなかない。

傑作。

でも、朝井リョウ(何者)が出ちゃったからなぁ、それにはかなわないよね・・・

【書評】共産主義黒書アジア編(ジャン=ルイ・マルコラン)【104冊目】

概要

中国・北朝鮮・ベトナム・ラオス・カンボジア。ソ連は崩壊しても、これらの共産主義国家は生き残っている。

共産主義が犯した虐殺についての話。虐殺の話が多すぎて、まるで虐殺しかしていないのではないかと目がくらむ思いがする。

中国でも北朝鮮でもベトナムでもラオスでもカンボジアでも共産主義政府が十万人単位で人を殺していく。資本主義と共産主義のどちらが良いのかは理論的には結論は出ないだろうが、数十万人が死んでいくのは共産主義だけだ。

王政も含めれば、もっと死に満ち溢れた政治形態があるのかもしれないが、とりあえず共産党と共闘したシールズの人はこの事実を勉強したほうがいいと思った。

【書評】ヘッダ・ガーブレル(イプセン)【103冊目】

概要

凡人の美女が破滅する話。

凡人の嫉妬は醜い。美しい容姿と嫉妬の醜さをかねそろえたヘッダは破滅する。

究極の悪は「無能」であるという。ヘッダは無能の極致だ。

周囲に破滅をまき散らす、無能な美女。その強烈すぎるキャラクターは公開当初拒否反応を巻き起こし、名作であるにもかかわらず、批判と拒絶の嵐にさらされた。

しかし、古くならない内容である。現代社会でさえ、こういう醜い人間であふれている。

【書評】全日本じゃんけんトーナメント(清涼院流水)【102冊目】

概要

3000万人が最後の一人になるまでじゃんけんで戦う

じゃんけんは運で決まる。このトーナメントに日本一アンラッキーな中学生が勝ち続けてしまうが実は裏があり・・・?という話。

最終章では舞台裏が語られるのだが。

・・・うーん・・・

これを読み通すと体調が悪くなり、とても虚無的な読後感が味わえる・・・

【書評】鳶がクルリと(ヒキタクニオ)【101冊目】

概要

鳶の会社に、大企業を辞めた28歳女性が転がり込む話

狂気の桜という作品が有名なヒキタクニオ。それに比べるとかなり日常感がある小説になっている。

安定が詰まらなくなって会社を辞めた主人公は、2週間、16時間以上も眠り続ける。そして、その後も無為に一日中テレビにくぎ付けになる28歳女性。母親は彼女を心配し、親戚がやっている鳶の会社にぶち込むのである。

主人公は世間知らずの無能な若造といった感じで魅力がなく、鳶の世界に魅力を感じて読ませる小説だ。

鳶のカシラはインテリ出身のプロレタリアートだが、彼はユートピアを作ろうとしている。実際に努力は実り、東日本イチの技術力を持つ会社と評される。彼と相棒にテロリストのパラソル的なハードボイルドの魅力を感じられるかがこの作品のカギだろう。

テロリストのパラソル(藤原伊織)

そこを28歳の頭でっかち世間知らずがぶち壊しにいくのだ。

さてそのようなこれから面白くなるぞ!というところで、唐突に話は打ち切られる。なんなのであろうか。ポカーンという気分である。

【書評】モナドの領域(筒井康隆)【100冊目】

概要

神の上位の存在”GOD”が宇宙の真理を語る

記念すべき100冊目は、この「モナドの領域」にしようと思う。

筒井康隆は昔から好きで、他の作品だと「敵」「家」「乗越駅の刑罰」が好きだ。

しかしこの「モナドの領域」はぶっ飛んでいる。

初版発行は2015年の12月だから、80歳の時に書かれたようだ。

GODが人間に向けて問答・公開討論をやる話、それだけと言えばそれだけなのだが、本当に神と話しているような気分になってしまうところが見事だ。宇宙の形について「あらゆる場所が中心で外周が存在しない円」だと語る。

なるほど・・・

そういわれると、「位相空間の開集合で距離が入っていないものかなぁ」と思わされて、人間が数学により神に近づいているのかという疑問が思いつく。するとすぐさま、「人間はエッセをまとい神のコピーの知性によりエッセを理解するのみだが、私はエッセンティアでありエッセを必要としない」と言われる。

なるほど・・・

神との対話を描いた本にはほかに「神狩り」が想起されるが、勝るとも劣らないできなのではないかと思う。

神狩り

なんにせよ、読む価値はある小説である!

【書評】山の絵本(尾崎喜八)【99冊目】

概要

山で作った紀行文。

1892年生まれの著者が、1933年頃から書き始めた紀行文。41歳ごろからだろうか。

尾崎氏の文章は、まさに絵のように、山の景色がありありと浮かんでくる。風や清流、遠くに見える峰までも蘇ってくる。魔法のような文章である。

冒頭の40ページは蓼科山のみだが、文末に山の名前の索引がついていて、100以上の山名が登場する。最低100回以上違う山に行っていることがわかる。

自然描写も見事だが、人間描写もおもしろい。著者が、心の底から山に生活する人々(農業や放牧)に憧れつつも、詩人としての無産階級的生活を捨てきれず、寂しさを感じている心情が分かる。

我々山好きの都会人も、いざ山への移住を考えると、山では仕事がないと頭を抱える。同じ心情なのではないだろうか。

【書評】冬の王(ハンス・ランド)【98冊目】

概要

北欧に一人で暮らす「冬の王」の人生の描写。

冬の王は、喜八氏が何度も読み返したという短編小説である。

罪により社会から追放され、篤学としての生活を送り、冷たい海を泳いで健康な肉体を保つ。

隠遁者としての理想の生活がこの上なく美しく描かれた短編である。

青空文庫で森鴎外訳を読むことができる。

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